テニスの王子様

□雨の日
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「やべー…すげぇ雨」


玄関まで来ると、朝は晴れていた空から土砂降りの雨が降っていた。
雨ってだけでテンション下がるよなー…ガムの噛み心地も悪ぃし…。
今日はジャッカルも赤也もいなく、俺は一人でローテンションのまま傘をさして帰ろうとした。


「あれ?」


咄嗟に何らかの視線を感じて振り向くと、下駄箱の影に女子がいた。
その女子と目が合った瞬間、俺はガムを飲み込みそうになった。
なにせそこにいたのは名前も知らない、俺が片思いしている他クラスの子だったから。


「え……」


その子も俺と目が合って困惑しているようだった。

なんで、なんだってこんなところに一人でいるんだ?あれか、ジャッカルの差し金か?それともーー

思わずキョロキョロと周りを見てから近付いて


「帰らねぇの?あ、彼氏待ちとか?」


格好悪く震えそうな声を抑えて話しかけた。
顔は知ってても話すのなんて初めてだし、名前も何にも知らないから酷く緊張した。
話しかけるのもそうだが、それ以上に後の質問の答えの方が。


「ち、違うよ!傘忘れちゃって、やむまで待ってるの」


うわ、よかったー!
彼氏待ち、とか言われたらここで俺の
恋が終わるところだった。
心の中で大袈裟にガッツポーズ。
けど、表情は平静を装わなきゃいけない。


「ふーん。でも、これじゃすぐにはやみそうもないぜぃ?」

「そうだね……」


二人で薄暗い空を見上げると、相変わらず降り続いている雨は、さっきよりも酷くなっているように感じた。

俺は、ごくりと唾を飲み込んで意を決して言った。


「なぁ、一緒に帰ろうぜぃ」


その子は、大きな目をぱちくりさせている。

間近で見たその仕草が可愛過ぎて、俺は舌を巻いて話す。


「なにしてんだよ。雨強くなるんだし、さっさと帰った方がいいだろぃ?」

「でも……」

「お前ん家どっち?」


困っていることなんてわかってる。
けど、折角二人になれたチャンスを逃す訳にはいかないと思った。

その子が大体の家の方向を指さす。
マジか…!俺ん家と同じ方向じゃん。


「了解。あ、でも道わかんねぇから案内シクヨロ」


かなり強引だったが、細い腕を掴んで無理矢理傘に引き入れた。
傘の中に入ると、本当に二人きりになったみたいだった。
ちらりと隣を見ると、顔を下げて歩いていて表情がわからない。
やっぱ嫌だったよな…俺とこいつ初対面だし、これで嫌われたかもしんねぇ…と思うと、自分の突発的な行動を後悔した。

その時


「丸井くん、家遠回りじゃないの?」


突然話しかけられて、心臓が止まるかと思った。


「いや。俺ん家もこっち側だし、丁度よかったな」

「そう、なんだ…」


声が裏返らないように慎重に答えると、またそれっきり俯いてしまった。

もっと顔見てぇなとかもっと話してぇなとか思うのに、どうしていいのかわかんねぇ。つーか、柄にもなく一緒にいられるだけで嬉しいなんて思ってる。

こんなのは初めてで、俺相当この子のこと好きなんだって改めて感じた。

しばらく歩いていると、二人の間の距離が妙に空いてるのに気付いて苦笑した。


「おい、もっとこっち来ねぇと濡れるだろぃ」


俺は、相当嫌われてんなと思いつつ、もっと傍に来て欲しくて、こうしてれば周りから見たら少しはカップルに見えることを期待して、腕を引っ張った。

けど、思いの外強く引っ張り過ぎたのかこの子の体が大きく傾いて俺に体を預ける格好になった。

抱きしめたら、俺の腕に収まってしまいそうな小さい体に驚いてじっと見つめていると、不意にこの子も俺を見上げてきて目が合った。


「あ……悪ぃ」

「…ううん……あの、えっと……」


体はすぐに離れてしまったが、お互い気まずくなり、目を泳がせた。
折角目が合ったのに、一秒と持たない視線が悔しい。
もっと見ていたい、もっと見ていて欲しい。俺だけをーー


「う、家…もうそこだからここまでで大丈夫だよ」

「え、マジで?」


気付くと、もう家に着いてしまったようだ。
玄関まで来ても、俺は煮え切らない気持ちのまま傘をさして立っていた。

もう帰っちまうのか?ーー俺はまだ一緒にいたい。

その気持ちは当たり前のように伝わらず、改まって頭を下げられた。


「わざわざ、ありがとう……今度は傘忘れないようにするね…」

「いや…いいんじゃね?また入れてやるし」


これはただ、俺がまた一緒に帰りたいだけ。入れてやるなんて、こいつの為みたいな言い方は、ただのエゴだろぃ。

また俯いたから、あ、嫌なこと言っちまったと思って顔を見た時、すぐにありがとう、と踵を返された。
けど、その一瞬の表情が、あの……頬が赤らんだ表情が脳裏に焼き付いて


「なぁ!名前、何つーの?」


思わず呼び止めて、ずっと聞きたかったことを雨にかき消されないように叫ぶ。

嫌だったら答えても貰えないだろうと覚悟して、玄関で止まっているその子を見つめていると


「…藤井、美香」


どんなに微かな声だって、その子の……美香の声なら、聞き逃す訳が無かった。


「美香、な」


やっと聞けた名前を噛み締めるように呟く。
呼んだだけなのに、その名前は俺の胸を強く締め付けた。


「うん……じゃ、またな美香!」

「?…うん。またね」


きょとんとしている表情もやっぱり可愛くて、俺は手を振ってから雨が弾くのも気にせず走った。

美香、美香、美香、美香

頭の中でただリピートされている。

ーまたね

そう言って笑ってくれた顔が心に張り付いて離れない。

しばらく走った後、やっと足が止まった。
心臓がドクドク言って苦しかったが、美香といた時と比べたら、どうってことなかった。

何も知らなかった時より、もっともっと好きになっていて

それは、胸からとめどなく溢れ


「美香、好きだ……」


雨となって消えていった。



fin.

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