テニスの王子様

□丸井くんと
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「うわ……どうしよう…」


玄関まで来てやっと、雨が強くなっていることに気付いた。
朝は晴れていたから傘は持って来ていないし、仕方ないからやむまで待っていようか…と玄関で立ち往生していると


「やべー…すげぇ雨」


突然下駄箱の影から現れた真っ赤な髪に、さっきまで沈んでいた気持ちがドキリと跳ね上がった。

それは、誰がどう見てもあの丸井くんで……クラスが違う私ですら彼の人気振りは耳にしていた。
それに、私自身も丸井くんが気になっている一人だった。

でも、私なんてどう頑張っても丸井くんとは住む世界が違うのだから、この気持ちは叶わなくて当然なのだ。

それなのに、この空間に二人きりでいられるだけでとても幸せに感じた。

ガムを噛みながら、青の傘をさした後ろ姿を見送ろうとしていた時


「あれ?」

「え……」


不意に紫の瞳が私を捉えた。

目が合うと思っていなかったから……いや、合うことなんてないと思っていたからすごく驚いた。
初めて見つめられた瞳は想像していたよりも綺麗で、吸い込まれてしまいそうだった。


「帰らねぇの?あ、彼氏待ちとか?」


ドキドキと苦しい胸を抑えながら、必死に首を振った。


「ち、違うよ!傘忘れちゃって、やむまで待ってるの」

「ふーん。でも、これじゃすぐにはやみそうもないぜぃ?」

「そうだね……」


二人で薄暗い空を見上げると、相変わらず降り続いている雨は、さっきよりも酷くなっているように感じた。


「なぁ、一緒に帰ろうぜぃ」


突然の言葉を理解するのに時間がかかった。


「なにしてんだよ。雨強くなるんだし、さっさと帰った方がいいだろぃ?」

「でも……」

「お前ん家どっち?」


既に行く気満々の丸井くんに断る隙がなく、私は自分の家の方向を指さした。


「了解。あ、でも道わかんねぇから案内シクヨロ」


そのまま腕を引っ張られ、私は青い傘の中に入った。
こんなところを誰かに見られたら何を言われるかわからない為、顔を隠すように歩いた。

実質、今日初めて会ったはずなのに、丸井くんはそんな私にも優しく接してくれた。
それが嬉しくて思わず勘違いしそうになる。


「丸井くん、家遠回りじゃないの?」

「いや。俺ん家もこっち側だし、丁度よかったな」

「そう、なんだ…」


同じ方向だったんだと嬉しく思った。

無言で帰っていると、この激しいドキドキが聞こえてしまわないか不安になった。
いつもの帰り道のはずなのに丸井くんと歩く道は、酷く苦しくて長く感じる。
苦しくて早く帰りたいのに、ずっと丸井くんと一緒にいたいと白黒した気持ちが渦巻いている。


「おい、もっとこっち来ねぇと濡れるだろぃ」


だんだん丸井くんから離れていることに気付いて腕を引っ張られると、とん、と思わず寄り添ってしまった。

そうだ。丸井くんは、こういうことを普通に出来てしまうんだ……。
恥ずかしく思いちらりと見上げると、丸井くんもこちらを見ていて目が合ってしまった。


「あ……悪ぃ」

「…ううん……あの、えっと……」


お互い気まずくなり、視線をさまよわせる。
雨で、沈黙がかき消されることが唯一の救いだった。


「う、家…もうそこだからここまでで大丈夫だよ」

「え、マジで?」


気付くともう自宅の前で、このドキドキから開放される気持ちと残念な気持ちが入り込む。

玄関の傍まで来てくれた丸井くんに改めて頭を下げた。


「わざわざ、ありがとう……今度は傘忘れないようにするね…」

「いや…いいんじゃね?また入れてやるし」


そんな、丸井くんにとったらなんでもないような言葉に私の心臓は壊れそうな程高鳴る。
もう苦しくて、これ以上いられなくてありがとう、と踵を返した。

その時


「なぁ!」


雨音にもかき消えない声で呼ばれ、ドアに手をかけたまま足が止まった。


「名前、何つーの?」


名前……名前……?

自分の名前を聞かれたことに気付くまでしばらく時間がかかった。


「…藤井、美香」


少し振り返ってそう呟くと、こんな小さな声でも丸井くんは聞き逃さずに聞いてくれていて、青い傘から満面の笑みを浮かべていた。


「美香、な。うん……じゃ、またな美香!」

「?…うん。またね」


なぜか納得したような丸井くんは、大きく手を振ると雨の中、走って行ってしまった。その背中を見えなくなるまで見送る。

一人になると、今までのことが夢の出来事のように思い返された。
あの丸井くんと一緒に帰れて、相合い傘までして、名前を呼んでもらえた。
もう、胸がいっぱいいっぱいなのに、どんどん欲深くなっている自分がいる。
もっと、一緒にいたい。もっと、知りたい。もっと、話したい。

それは、胸からとめどなく溢れ


「丸井くんが、好き……」


雨となって消えていった。



fin.

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