猿飛
□隠し事
1ページ/1ページ
.........
俺様の身体に異変があったのは一週間前だった。
優季ちゃんが起きてくる前に朝食の仕度をしているとき。
何の前触れもなく左手から光の粒子が溢れ、視界がひどく明るくなった。
これ、あの時の光りと同じ…
ハッと我にかえり、がらにもなく狼狽えてしまう。
まだ駄目だ!
俺様は思わず左手を強く押さえた。
それが項を制したのかどうかはわからないが、みるみるうちに光は収り元通りの形に。
ぼやけた視界も淡い泡がはじけるようにして
日常のものへと返っていった。
夢みたいなその出来事に頭がぼんやりとする。
意識が覚醒したときには焦げ臭い匂いと真っ黒になったお鍋が最初に目に入った。
これって、潮時ってやつ?
俺様は消えかかった左手を見遣る。見た目に支障はないもののどこか脱力感が残っていて、己の置かされた状況を認めざるをえない。
ふと、諦めたようなため息が耳に入る。それは紛れもなく自分の落としたもので。
「『まだ』って…なに言ってんだか…」
とっさに出たコトダマに、一番自分が驚いていた。
まだ駄目…なんて、この世界に未練が
あるみたいじゃない。
今すぐ元の世界に戻って、旦那や大将のいる場所に帰らなきゃいけないってわかってるのに。
だってそれは当たり前のことで、俺様の居場所だから。
そして、俺様の望みでもある。
「でも…」
なんだろ、このモヤモヤ。
「猿飛さん」
「!」
「どうかしましたか?」
「ん?どうもしないけど」
「そうですか」
では、おはようございます。
普段よりもユルい調子の彼女はこれまたユルりと頭を下げる。
思うに、寝起きの優季ちゃんほどゆったりした人間など戦国の世にいないと思うが、
ここまで気配を消せる娘もなかなか居ないと思う。
考えごとをしていたとはいえ、背後にいる優季ちゃんに全く気づけなかったなんて忍の名折れだ。
はあ、参っちゃうよねぇ。
なんだかんだでこの世界に慣れつつある自分がいる。情けない話だとは思うけどさ…
いくら鍛練を欠かさずやったとして、この生活に順応してしまう性。
やだやだ、中途半端に人間じみてるだなんて。
「あの、なにか焦げ臭い気がするのですが…」
「あ…お鍋!」
あちゃー、忘
れてた。
俺様特製の煮物が真っ黒け…。
俺様は鍋のなかに
広がる苦い香りにため息を落とす。上の方はまだなんとか食べられるかも、下はもう見らんない酷さだし…ああもう、なんか散々だなあ。
肩を落とす俺様を優季
ちゃんが慰めようとする。
うん、気持ちはありがたいけど「きっと食べられますよ、このジャガイモ!」なんて言われても。
そもそもこれジャガイモ入ってないから。←
「猿飛さん、あまり気を落とされず…」
「…優季ちゃんのおばかさん」
「は、はい…?」
「ばかー」
「よくわかりませんが、申し訳ないです」
あはー、理由もわからず謝るなんて本当におばかさんだねこの子ってば。
俺様がくつくつと喉を鳴らせて笑うと、優季ちゃんは首を傾げてから小さく笑った。
本当に駄目だなあ、俺様。
言えないなんて、馬鹿みたい。
『隠し事は唐突に』
あと少し、このままでいたい。
.
『』