猿飛

□秒針
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「お待たせいたしました。ご注文のブレンドコーヒーと、アッサムティーでございます」


「ありがとうねぇ」



そっとテーブルにカップを置き、年配のお客様に一礼。

すると予想だにしなかった柔らかな笑顔がかえってきて、私の胸の中はホコホコとします。

きっと口角の筋肉は機能を果たしてはくれないでしょうが、それでも目一杯の笑顔で応えました。



私がいそいそとカウンターに戻りますと、そこには厨房にいるはずの行さんがいて。

いつもの優しい笑顔で迎えてくださりました。



「だいぶ慣れてきたみたいだね」


「少し、ですけどね」


「数日で大体のことができるようになってるんだから大したものだよ。満点をあげたいくらい」



でも、たまにぼんやりしているのが気になるかな?



どこかいたずらっ子な表情の行さんは咎める様子もなく、ふふと笑って私の頭を撫でます。

これがもし他の方がなさるのなら
セクハラで訴えるところですが、行さんには嫌悪感をいだきません。

というか、抱けないのです。



そういえば、このようなことは猿飛さん以来ですね。


突然現れた訪問者に、恐
怖も嫌悪感もかんじなかったのですから。



「行さん、行さん」


「なんですか、篠宮さん」


「私、こんな顔なのにお客様は笑顔を返してくださって…ここにくるお客様は、本当に神様のようです」


「あはは、たしかにここにいらっしゃるお客さんは穏やかな人が多いね」



でも
それはお客様が優しいからだとか、そういうことじゃないんだよ。



その言葉に首を傾げると
行さんは撫でる手を下ろして腰を折り、私に目をあわせます。


私は思わず目をそらしそうになるのをこらえ、まっすぐに見つめました。

たとえ行さんとはいえ、
あまり時間を過ごしていない人と目線を合わせるのは未だに苦手で。


行さんと戸惑う私に気がついたのか否か、小さく苦笑し目線を下に落とされました。

安心したと同時に
申し訳ない気持ちが滲みます。




「篠宮さんの作る雰囲気が優しいから、お客さんも優しくなれるんだと俺は思うよ



「…無表情でも、ですか」


「外観が問題ではないよ。少なくとも、貴女はこの店の雰囲気に馴染めているし、常連さんにも気に入られてるからね」



篠宮さんて、クールキ
ュートなんだってさ。


行さんはくすくすと笑いながら厨房に入っていかれました。取り残された私はというと、情けない顔で佇むしかなくて。


ク、クールキュート…ですか。


クールビューティーという単語ならよく聞きます(例えるなら孫一さんなんてぴったりだと思います)が、キュートというのは初耳です。オリジナルですかね。

というか、そのような恐れ多い程の素敵な形容詞で呼ばれたことなど
生まれてこのかたありませんので
実感が湧きません。


能面だとか、鉄仮面なんかはお馴染みなのですが。


私はむず痒いような、少しくすぐったいそれに戸惑いながらも胸の奥がポカポカするのを感じます。



ああ、外の世界にはこんなに暖かい場所があるのですね。


この感覚を忘れたくない、それから
もっと知りたい。


簡単なことばかりでないのは痛い程経験し、よくわかっているつもりです。

それでも、ここでならゆっくりと無くしたものを取り戻せる気がするのです。


調子に乗るな、そう言われても仕方がありません。



ですが、これだけは信じたいと思います。




「猿飛さん」




私、前に進めていますよね?







『秒
針は音をたてて』





あと少し、あと少しだけ時間をください。


そして、私の話を聞いていただけませんか?

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