猿飛

□その名前は
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……………………


「あの、猿飛さん…」


「…。」



怒っている、というより何かに拗ねているようなご様子。

その理由がまったくわからない私はというと、猿飛さんが好きな紅茶クッキーを作っているところです。

私がキッチンで生地を作っていますと、猿飛さんは何をするでもなくテーブルに突っ伏していて。

何事かと話しかけるものの、先ほどからずっとこの調子です。


こんなふうになったのは、私がカフェのバイトが決まり店を後にしてからでした。

オーナーさんに別れの挨拶を告げ外に出ますと、眉間にシワを寄せた猿飛さんが待ち構えていて。

声をかけようとしたときには私の視界は一変。
俵かつぎで強制連行されました。私スカートですよ、あんまりです。



…とまあ今に至るわけですが。



帰宅後に訳を伺っても顔を背けられてしまいますし、いい加減私も泣きたくなってきました。



バイト、ようやく決まりましたよ猿飛さん。

まだ働いてはいませんが、貴方のおかげでほんの少し変われたんです。


喜んでくれるかな…なんて、ほんのりとですが期待していた私はやはり自惚れているのでしょうか。




「…アンタねぇ。なんて顔し
てんのさ」


「…猿飛さん、私はどうすればよいのでしょうか」



喜ぶ顔が見てみたいなんて言えないけれど、貴方が喜ぶことをしてみたい。



「念願のバイト決まったんでしょ。そんな顔似合わないぜ?」


「だって」


「なにさ」


「さ…猿飛さんが、ずっと不機嫌で」



どうすればよいのか、わからないんです。



そう溢すと、猿飛さんは目を丸くして。
それから何か考えるように目線を外し額に手を当て「あー…」と声を漏らしました。



「気にしなくていい。俺様もよくわかんないから」


「不機嫌の、理由ですか?」


「…まあ、なんとなーく検討ついちゃったんだけどね。ま、それはそれで認めたくねぇぜーってな」


「あの、よくわからないのですが」


「優季ちゃんはわからなくていいのー」



猿飛さんが私の額を小突いて困ったように笑うものですから、私は何も言えなくて。

ただ
言葉は無くても伝わる優しさが胸に染みるのです。


最初に比べると、猿飛さんは物凄く柔らかくなったように思います。

あ、太ったとかじゃなくて、角が取れたといいましょうか。

意地悪なときもありますが、そこに敵意
は感じられなくて。


ああ、初めて出会ったときに殺されかけたのが嘘のようですね。


あのときについた首の傷は一週間程度で消えちゃいましたが、今では良き思い出です。二度と受けたくはありませんが。




「ほらほら、もう何も心配せずに湯編みしといで。何件も回って疲れてるだろ」


「でも生地が…」


「あとにしちゃいな。湯が冷める」


「…わかりました」



若干渋ったものの、猿飛さんに背中を押されそのまま浴室に向かいます。


結局理由はわからず終いでしたが、いつも通りのその声音に安心し
深く追求することはやめにしました。
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