猿飛

□不思議さん
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「ありえない」


「猿飛さ…」


「ありえない!!」



さっきからこんな調子の猿飛さん。何が気に入らないのかずっとムスっとされておられます。


今朝私はベランダから足を滑らせ、真っ逆さまに落ちてしまいまして。怪我はないものの若干まだ頭がぼんやり状態です。


それで、目を覚ましたら猿飛さんがひどく安堵したような表情で私の名前を呼ばれたのですが……





「は、覚えてない?」


「さっぱりです。私が落ちたのはベランダから、階段じゃありませんよ」


「いやいや、そりゃアンタはベランダから落ちたよ。でもそれから一度目を覚まして、次は階段から落っこちたの!」


「覚えが無いのですが…」


「はい?」


「私、本当に一度は目を覚ましたんですか?」


記憶に無い、その一言につきます。


私の言葉に猿飛さんは目を真ん丸にし、眉を八の字にして笑います。「またまたあ…冗談ばっか」とおでこをつつかれ、私がそれでも否定しますと、彼の形相はみるみるうちに変化して。

怒ったような、困ったような…とにかく暗い表情になってしまいました。

どうやら冗談では無いようですが、記憶が無いためにどうしようもありません。



「じゃああの表情は何だったのさ…」


「表情?」


「……まさか」



猿飛さんがガシッと私の肩を掴み「ちょっと笑って!」とおっしゃられまして。
あまりに必死な様子なもので、私は動揺してしまいます。



「こ、こんなかんじでいかがでしょう?」


「……」


「猿飛さん?」


「…もしかして、からかってる?」



作り笑いくらいできるでしょ。



そう言われて私は少し胸をツクンと針で刺されたような感覚を覚えました。


そうですね。ふざけていると思われたって、仕方ないです。



けれど
作り笑いさえ、私にはできない。



「すみません」


「本当に、表情まで…」


「すみません」


「…謝らなくていい」


「私、何もできないから」


「優季ちゃん」


「出来損ない」



自己嫌悪だとか、自分を卑下するとかそんなんじゃない。

大切なものが欠落している、ただ自覚しているだけなんです。


猿飛さんのこの言いよう、おそらく記憶が抜けている時の『私』が普通に表情があったのだと推測してみます。

じゃないと、あの猿飛さんがこんなふうに感情を出さないと思うのですよ。


私は単に、『当たり前のこと』を当たり前にやっていたんでしょう。


ならば、それこそ疑うのは当たり前です。



「…悪かったよ、何も覚えてないなら仕方ないよね。嫌なこと言った」


「いえ、猿飛さんも驚きましたよね。当然の反応かと」


「……」



気のせいでしょうか、猿飛さんが一瞬怪訝そうな目つきになったように見えました。

…何でしょう?



「まあいいや。別に優季ちゃんから表情取り去ったところで困りやしないし」


「そうですか」


「そ。アンタわかりやすいからさ」


「猿飛さんだけです、そんなことをおっしゃられるのは」


「そうだろうね〜」


「どうして」



私がわかりやすいと?


今までわかりやすいどころか「何考えてるかわからない」「読めない」と言ったようなお言葉なら
たくさんかけていただいたのですが。
そんなふうに言う理由がまったく検討がつきません。


確かに猿飛さんは今まで私の感情の変化には気づいていたように思います。
人間誰しも、極端なものだけでなく囁かな動きもあり、当然私も同じことで。

それをひとつひとつ見落とすことなく拾い上げて、反応の有無に関わらず、それでも見つけてくれる。


仕事柄、なんでしょうね。

優れた洞察力、相手の嘘を見抜いたりするそれと似ている気がします。



猿飛さん。

貴方に他意が無かったとしても

それでも
私にはそれがとても大きいことを知っておられますか?



「なんでアンタの気持ちを俺様がよーくわかっちゃうのか、知りたい?」


「…知りたい、です」


「んふ、それはねー…」



猿飛さんがちょいちょいと手招きするので、私は何だろうと身を寄せます。


クイッ


軽く腕を引っ張られて、まだ力が入らない私の身体は猿飛さんの胸の中にすっぽり収まりました。

思わず胸板を押し、「ごめんなさい」と顔を上げますと予想以上に顔が近くて。


猿飛さんの表情はとても穏やかで、もともと整ったお顔立ち抜きにして思わず見とれてしまいます。




「ほら」




今、見とれてる。



そう耳元にそっと囁かれて、小さく肩が震えてしまって。

どうして、と。私はまた彼に問います。



「表情だけ見てれば…ぼーっとしてるか、睨んでるってかんじかな」


「…はい」


「でも全然違うんだよね、眼が」


「眼?」


「そ。あと雰囲気、呼吸にまばたき…うーん、いろいろあるけど。まあ…」



一番の根拠は、勘かな。



呆気からんとそう言う彼はやっぱり優しい穏やかな顔。


根拠が勘、それを根拠と言っていいのでしょうか?


疑問を残しつつも、やはり猿飛さんが言うことは説得力があって。
それなら、それでいいです。という気持ちになってしまうのです。私って流されやすいのかもしれません。



「私、猿飛さんのこと凄い人だと思ってます」


「あは、まあね〜」


「でも今はそれ以上に、不思議な人だなって…そう思うのです」


「不思議?あれま、俺様って不思議電波ちゃん的なアレでは無いつもりなんだけど」


「電波ではないと思いますが…」



不思議大百景?摩訶不思議アドベンチャー?

うまくたとえられませんが、とにかく未知なる部分が多すぎて『不思議』としか言いようがありません。
知れば知るほど、知らなかったことが露見される。


つまり
私が知っていたつもりの『猿飛佐助』さんは、ほんの囁かであって。

能力から何から私の想像をはるかに超えるものをお持ちになっているその方は、もう私の知る人では無いような錯覚に陥ってしまうのです。



知っているのに、知らない人



それは彼との距離。
私が不思議だとかんじる理由。



あー、友人としてあるまじきかな…。




「また難しいこと考えて、迷走してる。アンタ脳みそちっこいんだから悩んでも無駄だよ、無駄」


「そこまで言いますか」


「言う。無いものねだりも憐れだけど、無駄なことをひたすら頑張る姿も滑稽だね」



いつにも増して毒吐きまくってるのは何故ですか?
人が真剣に分析しているのを無駄無駄と…確かに頭は悪いですけれども。

……わかりました、猿飛さんはシリアスブレイカーさんなんですね。
非力なお馬鹿さんが努力するのが面白くて仕方ないから、おちょくっておられるに違いありません。


くっ、何という失態…彼にだけは悟られないようにせねば。



「っとに、わかりやすいよね」


「……」


「あはー、拗ねてるし。ね、優季ちゃん、こっち見て」


「…拒否します」


「却下」



拒否を却下って…なんという暴君でしょう。


私の両頬は大きな手に覆われ、いとも簡単に顔をさらけ出すことにすることになります。

それから、すんなりと交わされた視線。
猿飛さんの切れ長の眼が、私を射ており逃げられない。獲物を狙う獣に似たそれは、鋭くて。



でも、やっぱり不思議です。

怖くはないんですよね。




「猿飛さん」




私の笑顔は、いかがでしたか?



思わず出たその問いを、彼はすっと受け入れます。
視界の端で捉えたのは、薄い唇がやんわりと動くところ。




「嫌いじゃないよ」



でも、今のがやっぱりアンタらしい




「いつか、『優季ちゃん』の笑った顔を見せてよ」





ああ、猿飛さんの言う『表情』がわかった気がします。

鋭いのに、その奥はひどく優しい。





…やっぱり、あなたは不思議な人です



















ちなみにこの体勢は

いつまで続くのでしょうか





 

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