猿飛
□白昼夢
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俺様は優季ちゃんを抱き抱えたまま寝室に運び、ゆっくりと身体をべっどに横にならせる。
くたりと布団に身を沈め眠る優季ちゃんに、見たところ外傷はない。
あの時、しっかりと彼女の身体を支え守ったのは確かだ。怪我はないだろう。
もしかしたら突然の出来事に、驚いて気を失ったのかもしれない。
優季ちゃんの赤みを失った、白い頬に触れてみる。
冷たくなった柔らかい感触が指先に伝わって、病人のような弱々しい生気しか感じられない。
「狸寝入りなら、よしてよね」
はやく目を覚ましてくれないかな。眠そうに目を擦りながら
「猿飛さん、おはようございます」って言って、朝餉の献立を聞いてきてさ。
それから、嬉しそうに席について。
表情には出なくたって、纏う空気が柔らかくなってどこか目の奥が優しくなるそれで
アンタの気持ちなんか手に取るようにわかっちゃうんだから。
「さっさと起きなよ、アンタの好きなキッシュ作ったんだ。いつも美味しいけど、今日のはとっておき」
はやくしないと食べちゃうよ?
白い頬はぴくりともせず、わかることは胸が上下に動いているのと、静かな呼吸音だけ。
彼女は確かに生きている。けれど、何だか胸騒ぎがして。
このまま眠り続けてしまうのではなんて嫌な想像が頭を過ぎり、それを一掃する。
心配しすぎだ。何処も打っちゃいないし、しばらくすれば起き上がるでしょ。
そんなに人間やわじゃない。そんなもの自分が一番よく知っている。
あらゆる危機に出くわしつつも、なんとかかい潜り生き抜いた張本人が言うのだから間違いない。
いくらひ弱な優季ちゃんとはいえ、この程度で意識が戻らなくなるなんてこと考えられない。そう、気にしすぎなのだ。いつからこんな過保護脳になったんだか自分は。
己にそう言い聞かせ、だんだんと落ち着きを取り戻していく。
「俺様をこんなに悩ませるなんてさ、後でお仕置きするから」
覚悟してなよ。
眠り姫の耳元でそう告げてから、小さくため息をついた。
その時、
「……ん」
ぴくり、彼女の瞼に力が篭るのが伝わって。
小さく漏れたその声に、己の胸が跳びはねたのは言うまでもない。
「優季ちゃん!?」
「……は、い…」
「っ、ああもう…やっと起きたよこの寝ぼすけ優季ちゃん!!心配かけないでよねっ」
「う…猿跳さん、耳元で叫ばないでいただきたいです……」
頭にガンガン響いて…
と苦情を漏らす彼女に俺様は内心ホッとした。
いつもどおり、堅い敬語で俺様の名前を呼ぶその人。それは紛れもなく優季ちゃんそのもので。
よかった
本当に、元気そうだ。
「私、ベランダから落ちちゃいました…よね?」
「そうだよ!まったくもう、あんなに身を乗り出す子がいますかねぇ」
「すみません…。起きたら猿飛さんがいなくて、事故にでも遭ったんじゃないかと心配になりまして…つい」
「ついってアンタね…。でも俺様が黙っていなくなったのが原因だし、今回はお互い様か」
「…ありがとうございます」
優季ちゃんが上体を起こし、俺様に深くお辞儀をする。
「別に礼を言われる筋合いなんか無いし」なんて、素直じゃない自分の声に、再び丁寧にお礼を言われると何も言えなくなってしまう。
相変わらず律儀な子。
ぐー
「あ」
「…くっ、お腹すいたんでしょ?」
「……お恥ずかしいです」
優季ちゃんが布団に顔を埋めてゴニョゴニョとつぶやくのを見て、笑いが込み上げる。
何と言うか、締まらないなあこの子って。まあそれがいいんだけどさ…………って
何言ってんの俺様、いいって何?
あーもう馬鹿馬鹿!と自分を叱咤していると、優季ちゃんがキョトン顔で頭を傾げてこちらを見ていて。
そんな目で見ないでくれるかな…
「立てる?」
「はい、一人でも平気ですよ」
「…ってそんなフラフラでよく言うね。何が平気だよ、こんなときに強がらなくてもいいの」
「そういうつもりじゃ…」
俺様は足元のおぼつかない彼女の肩を支え、きっちんまで案内する。
やはり本調子じゃないのか、生まれて間もない子羊みたいな優季ちゃんに思わず手を差し延べたくなってしまう。
ちなみに、子羊はえぬえちけーのどきゅめんと番組で知った。
ゆっくりと地面を踏み締めきっちんまで移動すると、彼女を椅子に座らせ冷蔵庫から朝餉を取り出す。
サラダを並べ、取りやすい位置に『自家製そーす猿飛さんでらっくす』を4種類程取り出して置いた。
それからレンジで温めたキッシュを皿に移し、仕上げにパセリをそっと添える。
「これ…」
「そ、キッシュ。アンタ好きでしょ?」
「はい、そうですが…。何も言ってないのに、なんで知っておられるのですか?」
「見てればわかるっての」
忍の洞察力ナメないでよね。
そう言って不敵に笑んでやると、優季ちゃんは真ん丸く目を見開く。
いつもより反応の良いそれに満足しながら、俺様はヨーグルトを冷蔵庫を取り出す。
色の良いジャムが、白に映えて綺麗なそれも彼女のお気に入りだ。
さらに喜ぶに違いないとヨーグルトに視線を落としていると、背中の方から「猿飛さん」と名前を呼ばれる。
俺様がそれを手に振り返ると
そこには見慣れない光景があって
「ありがとうございます、嬉しいです」
ほっぺたを赤く染め、可愛らしく微笑む優季ちゃんが
そこにいた。
「…え」
優季ちゃんが満面の笑みで…ってはい?
アンタ誰?
喉元まで競り上がっていたそれを、ゴクリと飲み込んだ。
『白昼夢にヒトヒラの』
この笑顔
何かに似てる
...
続きます