猿飛
□仮面
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やはり、頭を使っているときは甘いものに限ります。
猿飛さんは甘さ控え目がいいですよね、きっと。
私はココアパウダーだけでは物足りず砂糖を加えますが、きっと真田さんくらいしかわかり合えない気がします。
コポコポとマグカップにホットミルクを注ぎ、ココアを加えゆっくりと掻き混ぜます。甘い香りが私の鼻をくすぐり、何故か胸がまたチクリと痛みました。
私は違和感を抱きながら、スプーン引き抜きます。
猿飛さんは本当に頭が良い。そして忍として強く、優秀で。私のような一般人の女が敵うところなんか無くて。
これからこの世界で生きる術を身につけた猿飛さんにとって、私は完全に不要になってしまうでしょう。彼の適応能力の高さは誰が見たって認めるに違いありません。
私が今まで生きて得たものなんて、あっという間に追い抜かれて、そのまま手の届かないところに行ってしまうんだろうなって。
猿飛さんも振り返ることもなく、風みたいに吹き去ってしまうでしょう。
けれどそれは当たり前のことで。
私は猿飛さんにとってただの家主。たまたま落ちてきた場所に住んでいた、たまたま巡り合った女。利用してくださいと言ったのは私自身、そして猿飛さんもその通り、利用するために私と一緒に住むことに決めたのです。
用が済めば、考えるまでもない。
わかっているのです。そんなこと、最初から。
わかっていて、自分から必死にお手伝いをしているのです。
けれど、なんでですかね。
「……痛い」
胸が、苦しいのです。
ココアの優しい香りが、今の私にはとても悲しい。苦くて愚かしい自分の心を、甘い甘い密が覆い隠そうとするのです。いくら外側が甘くとろけたシロップだとしても、中身は醜く焦げているのに。それでもとろとろとふりかかる。
そしてゴロゴロとしたダマのようなものが、ぶくりと膨れ上がるのです。
「痛い」
この気持ちは、嫉妬、なのでしょうか。
私の築いてきたものを、石ころを拾うように手に取り
用がないと分かれば、また道端に投げ捨てる。
もし本当にこれが嫉妬だと言うなら
私は救いようのない偽善者です。
ゆらりと渦巻くココアの白い泡に視線を落とします。やんわりと、溶けて沈んでいきそこは甘い水溜まりになりました。
「私は」
何なんだろう。
「優季ちゃん」
振り返ると、そこには首を傾げた猿飛さんがいて。
気配を消していたのか、それとも私が意識をシャットダウンしていたのか…とにかく、まったく気がつきませんでした。
猿飛さんは私がマグカップを持って立ち尽くしているのを不思議に思ったのか、「どうしたの」と声をかけてきます。
平静を装い、私はココアをテーブルに置きました。
「お疲れ様です。息抜きになるかと思いまして、ココアをいれてみました」
「…優季ちゃん?」
「飲みませんか?甘くて、とても美味しいので」
「優季ちゃん」
どうしたの
まっすぐな瞳で射ぬかれ、思わず口を閉ざしてしまいます。
ああ、悔しい。この人には、嘘さえまともにつけやしない。
無言が続く中、猿飛さんは私にゆっくりと近づき顔を覗き込ませてきました。
その表情は不思議そうでもなく、かといって心配するでもなく、感情が読めないもので。例えるなら、忍さんの顔、とでも言うのでしょうか。
「なんか、変」
「私はいつも変です」
「だろうね」
「…なんなんですか」
「それは俺様が聞きたいね」
アンタ、なんで泣きそうなのさ
猿飛さんは一言、そう言い残しキッチンから出ていきました。
泣きそう?誰が…私が?
私は立てかけられた鏡に自分を写します。埃が薄く被った世界の中には、無表情の女が一人いて。
「…泣いてなんか、いないじゃないですか」
いつもと変わらない自分。無表情で、感情の読めない自分がいつも通りにそこにいました。
胸の中がざわついて、地面と身体がくっついているみたいな錯覚を覚える中、猿飛さんの顔が過ぎります。
なんで泣きそうなの
「…ああ」
そうか、私は
「寂しいのですね」
ズクリと刺すような胸の痛みはいつのまにか消えていて
静まったキッチンに
自分そっくりの、他人の声が聞こえた気がしました。
『透明のカメン』
あなたが見ているのは
いつだって私の心なのですね
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