猿飛
□隠し味
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「おはようございます」
「おはよ」
「あの」
「何?」
「なんで隣で寝ておられるのですか?」
何ですかこの定番。逆トリップには規定でもあるんでしょうか。朝起きたら同じベットだなんて、ベタにも程があります。
私が質問すると猿飛さんは悪びれることなく「寝ぼけて優季ちゃんの寝首かけちゃうように」ですって。
聞いた私がお馬鹿さんでした、聞かなければよかったとさえ思ってしまいます。
理由があまりにも酷い。あんまりです。
まだ殺意を向けられたものなら仕方ない(嫌には変わりありませんが)のです。
しかし寝ぼけた忍さんにうっかりサクッと命を奪われてしまうというのは訳が違います。え、違わない?そうですか。
私が脳内で不服の嵐を巻き起こしていますと、猿飛さんがニヤニヤこちらを見ていました。
楽しんでおられますね、はい。
「あはー、なんかいろいろ葛藤してておもしろー」
これで表情あれば完璧なんだけどなあ。
なんて口では笑いながらも目が感情を映していないのが
とてもとても恐ろしいです。猿飛さん、ふざけるなら最後までふざけきっていただきたいです。
私は布団から抜け出し、ノソノソとベットから降ります。猿飛さんが「つまんない」と唇を尖らせていますが気にしてはいけません。
それから私は寝室のドアを開けますと、鼻孔をくすぐる優しい香りが漂ってきて。
予想しないそれに、私は思わず声が漏れてしまいました。
「朝餉作ったから」
「え」
思わず立ち止まった私に、ベットの上で胡座をかいてこちらを見る猿飛さん。
「何、不服なわけ?」
「ち、違います!とても、とても嬉しいのですが、その、ただ驚きが上回ったと言いますか…」
私は必死に撤回の言葉を探します。
早く「自分は喜んでいるのだ」ということを伝えるべく口を動かすも、焦りからか上手く言葉を紡ぐことができません。
ああもう、こんなときに。
自分のコミュニケーション能力の低さを恨みます。
私がたどたどしく、それでも弁解しようとしていますと、猿飛さんが突然くつくつと笑いだしました。
先程とは違うその表情は、素であるのだとわかります。
「アンタ必死すぎ…くく」
「そ、う言われましても…」
「んふ、まあいいや。早く食べよ」
猿飛さんはベットから飛び降りて焦る私の背中を押して案内します。
ぐいぐい押されるわけですが、力加減はしているらしく、追い風に押されるようにして部屋に着きました。
そして案内されたテーブルに並んだお料理に、私は目を丸くします。
やはり、と私は呟きました。
「どーよ」
「すごい、です」
「でしょ〜?俺様ってば優秀ですから」
「優秀…すぎます」
というか、どうして貴方がこれらを作れたのが不思議でなりません。
テーブルに並ぶ皿には、昨日買ったばかりの雑穀パンを使ったサンドイッチ。串で器用に固定された具材はトマト、チーズ、シーチキン、レタス、スライスオニオン…様々な種類があり、好きに選べる仕様になっています。
それからガラスコップに色とりどりの野菜スティック。小皿にはフレンチドレッシング、ごま味噌、和風おろし、ヨーグルトソース、大葉と梅肉ソースがお洒落に飾られています。
そして先程の香りの正体、コンソメスープがマグカップに注がれており優しい香りは、食卓を包んでいるような安心さがあって。
極めつけには搾りたてのオレンジジュースと、たっぷり果物が入ったヨーグルトにかかった蜜がツヤツヤと光を放っています。
朝食としては申し分のない、というかまるでホテルのような光景に私は立ち尽くしてしまいました。
まずとても美味しそうなそれらに驚きを隠せなかったのと、それから何故猿飛さんはサンドイッチとかそういう南蛮料理の知識があるのでしょうか、ということです。
確かに作れないようなものではないでしょうけど、ここまで凝ったお料理は予想を越えるものでした。
「ほら座って、食べて食べて」
「あ、はい。いただきます」
「どうぞー」
私は手を合わせ一礼し、猿飛さんの視線を受けながらサンドイッチを手に取りました。そして、それをそろりと口に運び
「…!」
驚愕しました。大袈裟だ?知りません、本当にびっくりしたのですから。
新鮮な野菜とハム、たっぷりと塗られた甘辛いソースとは別に薄く塗られたマスタードが口の中で手を取り合って幸福中枢なるものを刺激し
軽く焼かれたパンの弾力と野菜のシャキシャキという歯ごたえがまた丁度よく、たまにくるピリリとした辛さがまた食欲をそそります。
朝はあまり食べない私でも、これならいくらでも食べられそうです。おかわりしたいなんて、初めてかもしれません。
私が「物凄く美味しいです」と他のサンドイッチ手を伸ばしていますと、猿飛さんが満足そうにこちらを眺めていて。
猿飛さんは食べないのですか?という問いに、んー食べるけどと言って微笑まれました。
「笑ってる」
「はい?」
「ほーーーんとに少しだけ、笑ってるよ優季ちゃん」
「私が、笑って…」
「うん。笑ってるってか綻んでるっていうのかな…ま、とにかく」
俺様が見た中では、ピカイチじゃない?
猿飛さんはニッと笑い、「俺様もー」とサンドイッチに手を伸ばします。
私は自分の顔に手をやり、つい確かめてしまいました。
笑っている、なんて。
私は笑えているのでしょうか。何年も使われることなく衰えた顔の筋肉が、朝食ひとつで機能を取り戻すことができるものなのでしょうか。。
最後に笑ったそれさえ思い出せませんが、というか笑ったことがあるのかさえ思い出せない私が、笑顔なんて贅沢なものをまだ持っているというのなら。
それを引き出したのは朝食ではなく、間違いなく、猿飛さんだろうと思います。
「案外イケるね」と言いながらむぐむぐと口を動かすその人を見つめ、あなたは不思議な人です、と零しました。
聞こえなかったのか、それとも知らんぷりしているのか、いつもなら突っ掛かってくるであろうそれも無く。さっさと食事を終え片付けに取り掛かる猿飛さん。…って、早くないですか食べるの。
「忍はダラダラ食べないの」
「そうですか。あ、ところで」
「何で南蛮の料理を知ってるか、でしょ?」
「さすが、その通りです」
「昨日アンタが夕餉を作っていた時、てれびでやってたの」
「…ああ、テレビクッキングですか」
「そう、それ。で、『これ作ったら優季ちゃん驚くかな』って」
「見事に驚きました」
「ただ『やだ猿飛さん素敵、抱いて!』とはならなかったのが残念かな」
「その脳内回路が残念ですよ」
最後だけ聞かなかったことにさせてください。少し感動してしまった私がひどく愚かしいです。
突然そんな話題を振られるとは思わず、つい冷たい声音になってしまいました。
というか、猿飛さんは性欲が有り余っているのでしょうか。家主として、居候の健やかな生活を守るという意味で何か対策を考える必要があるのか否か…悩みどころです。一応私も大人の女、大人の事情がわからないようなお子ちゃまでもありません。
ふむ。男性ならばそう考えるのは仕方ないのでしょう、生理現象というやつですかね。けれどそこまで手伝う気はサラサラありませんし、まず求める相手を間違っていると思います。
ぺったりなこの脂肪足らずな胸が「萎えさせること間違いないよ」と訴えて止みません。
「ん、大きくしてあげよっか?」
「拒否です。間に合ってます」
優季ちゃんてば照れ屋さんだなあ。
なんて言ってヘラヘラ笑う猿飛さんに一瞥をやり私は食事を再開します。もういい、この人は私の反応を見て遊んでいるだけです、よくわかりました。
しかしまあ調理した人がどんな人であろうと、やはり料理は正直なもので。
うん、美味しい。
楽しそうに笑う声と、水の流れる音が交じりながら部屋に響くのを聞きながら、温かいスープをひとくち口に含みます。
久しぶりに、朝を迎えた気がしました。
『隠し味はひとつまみの』
トマト
苦手なはずだったのになあ
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