猿飛

□彼女はとても
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信じられない。



気がついたらそこは見知らぬ風景が広がっていた。

俺様はふじ色の布団の上に突っ伏していて、やけにひんやりとした空気が身を震わせる。



ここは…何処だ?


辺りを見回すが、あちこち知らない物ばかり。慣れ親しんだ障子や畳は無い。

真っ白な壁と天井は、寒さを際立たせているようだ。


何ここ、南蛮か何か?


俺様は警戒しながら、ゆっくりと身体を起こした。

そして、地に足をついた
。その時。



カツン



やっば、迂闊。
何か小さなものが足先に触れ音をたてた。
小さな、囁かな音。しかし、忍にとってそれは命取りで。

俺様はすぐさま息を殺し、気配を消す。


自分をさらった人間が、現れるかもしれない。


張り詰めた空気が、ピンと弾けたときだった。




「どなたですかー」



女の声。それも落ち着き払った、何の警戒も感じられない声。


バレたか?


…にしてはひどく間の抜けたそれ。



それとも罠?


俺様はフルに頭を回転させ、気配を消したまま声の主の元へ忍び寄った。






そして、今に至る。



女は意味のわからないことばかり言う。とぼけているのか、頭でも打ったのか。

とにかく意思疎通が上手くいかない女に対してイライラが募る。


俺様の機嫌が悪くなる一方で

女は恐怖を表すことも、憤怒することもなかった。


というか、表情の変化が見受けられない。


声音から多少の動揺は感じ取れる。
しかし眼差しは常に真っすぐでこちらを捉え、口角は上がることも無ければ下がることもない。

普通よりも、表情に乏しいものを感じる。

その点においては忍に向いていそうだと思ったのは、ここだけの話。



それからこの女、あまりにも無防備。警戒心が全くない。

クナイを突き付けても動こうとする(うっかり切っちゃいそうになるし)上に、殺気を出しても気づかない。

領民の女子供でさえここまで鈍感ではないだろう。



疑えば疑うほど、言葉を交わせば交わすほど。
ここが戦国の世では無いと了解せざるをえない気がしてしまう。

俺様は目の前にある非現実的に近い現実に
柄にもなく混乱しそうになるのを、必死に抑えつけた。



落ち着け、冷静に判断しろ



冷ややかな忍の声が自らを鎮める。気を抜くな、裏の裏まで疑え。


しかしそんな思いをよそに、女は予想外のことを呟いた。





「猿飛…佐助」




その瞬間、俺様の中でパチンと音を立てた。
強く女を壁に押し付け、鋭く睨む。



まさか、嘘でしょ。
本当に何者なの、こいつは。






****





女の必死な弁解に、俺様はひとまずクナイを下ろした。

そして手渡された紙切れに描かれた見知った面々…。
それだけでもう目眩がするというのに。

決定打として、箱の中で戦場を翔ける竜の旦那や右目の旦那…そして自分。



信憑性皆無であった女の話を、すんなりと飲み込んでしまいそうになる自分を叱咤する。



まだだ、まだ、信じるな。


俺様は忍だ、忘れるな。
今信じられるものは自分、判断するのも自分だ…


胸の内で何度も唱える。そうやって今までやってきたのだ、忍として生きてきたのだ。


もう一度箱に目をやる。しかし、そこには自分の仕える主がいて。


「旦那…っ!」


思わず漏れた声に反応したのか。
先ほどまでほとんど表情を変えなかった女が、ほんのわずかに目を見開いた。


それは驚いたようにも、何故か悲しそうにも見えて。
一瞬の中に、ほんの少し感情を垣間見た気がした。



そして彼女は、突然突拍子の無いことを口にした。




「うちでよければ、好きに使ってください」



……どういうつもり?



俺様はゆっくりと、慎重に解いかける。女の真意が、見えない。



「恐らくこの時代では、猿飛さんの行く宛は無いと思います。
皆無とは言いませんが、戸籍も無いし…クナイ持ってる時点でお縄になるかと。

ですから、あなたの世界に帰る方法がわかるまで、ここを使ってくれて構いませんよ。」



確かに、ここ以外に行く宛は無いだろう。
女の話が真であれ偽であれ、ここは俺様の知らない場所だ。迂闊に動くのは得策ではない。


しかし、この女に何の得があるというのか。
今度こそ罠か、そう思いを巡らせていると
「困ったときはお互い様です」
なんて無表情で言われてしまう。



この女、どうかしている。



俺様はその真っすぐにこちらを見つめる女と向かい合う。



彼女は、静かに言葉を紡ぐ。
その表情は、どこか柔らかくて。



「あえて言うなら、話し相手が、欲しいんですかね」



ねぇ。

アンタは一体、何なの?







****





「……名前」


「…はい?」


「アンタの名前だよ、名前!アンタにだけ名前知られてるなんて癪に触る。」


それに、ここに居座るんなら家主の名前くらい知っておきたいし。


ツンとそう言うと、彼女は若干目を見開いた。そして、指先を口元に当てて、何かを考える仕種をする。
変化の無い表情から、その意は読み取れない。



「私の名前は、優季です。」


「…優季ちゃん、ね。」


「では、これからよろしくお願いしますね。猿飛さん」


女…もとい、優季ちゃんは頭を深く下げながらそう言った。


あーもうっ、だからなんでそんなに隙だらけなのさアンタは。


頭を上げて首を傾げる優季ちゃんに、俺様は思わずため息をついた。












(俺様ばっかり警戒してるの、馬鹿みたいじゃん。)






 

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