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□幸福な名。
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人が決めた常識など必要なかった。
たかが人間。
弱く、脆く、欲深く、強欲な人間。
汚れ、醜い人間である事を呪い、恨み、絶望を感じるほど己を恥じた。
黒い闇は、振り払っても振り払っても迫りくる。
涙を流そうが叫ぼうが、酷く汚れた世界にいるのは自分だけ。
あぁ…それならば、
逃げられないのなら、自分も黒に染め上げてしまえばいい。
黒が黒とも思わないように。
闇を闇だと感じないように。
痛みを痛みと感じぬように。
自らを認められぬほど…ただ黒く。
黒く、黒く…漆黒に。
彼、六道骸は『六道骸』が誕生した時ほどこの世を呪った事はない。
人の体の作りをこの眼で知った。
人の血液は鉄臭く生臭く、空気に触れれば赤黒くなる事を体験した。
深い傷は痛みを感じず、じくじくと痺れ、深く切った肉からは、白い脂肪からぷくりと血液が染み出て溢れ出すのだと学んだ。
だから憎い人間を殺す時はゆっくりと、少しずつ時間をかけて傷つけ痛みを感じさせながら殺した。
その絶望の瞳の中に映る自分といったら…生きている実感がした。
相手の血液の生暖かさが、己の血のように感じれた。
この醜い目玉と共に、『六道骸』は生まれたのだ。
醜い赤い目玉には、この世を生きるものが生死を繰り返し廻る六つの世界の記憶がある。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道…その全ての記憶が自分の小さな頭にあった。
その中でもっとも醜いのは人間道だと知り、人間という生き物に心底落胆した。
「汚ならしい…」
返り血で赤く染まる自分に名を与えた。
逃げられない輪廻を廻り続ける魂を持つ自分は、《六道》を廻る《骸》死骸だと。
記憶だけをそのままに、魂のみが輪廻を廻るのだから首から上のない死骸の意味をさす《骸》は自分の事を示すにはぴったりだとほくそ笑む。
そのスキルを使い、自分を生み出した大人達を殺した夜。
血だらけの自分を見つめる目を見つけた。
「…一緒にきますか?」
赤黒いパリパリと乾きだした血液にまみれた手を、自分の姿形に似た少年二人に差し出した。
自分の目に映った二人は、『六道骸』という化物になる前の姿だと感じた。
ついてくるのなら利用しようとも考えた。
その程度の価値かと思っていたが、二人は自分に忠実で、黒く染まる自分を客観的に見つめる余裕をくれた。
人間のいない世界は実に美しい。
人間がいかに汚らわしいか知っていたからこそ、人間を排除し、その美しい世界を己が作る事に決めた。
その世界には、この子達を連れて行ってもいいと思い始めた。
自分を崇拝し、自分に忠実な城島犬と柿本千種。
忌々しい記憶の元を作ったマフィアの被害者で同志とも呼べるだろう人間。
痛みを、苦しみを、傷を受けたこの者達が自分に笑顔を向ける事を悪くないと思うようになった。
それでも、人間を消す意思は変わらない。
この者達も賛同した。
なら、元凶であるマフィアから滅ぼそうと決めた。
だから近づいたのだ…その身体を乗っ取り利用する為に。
でなければ出会う事もなく、互いを知る事などなかった。
暗闇である自分と真逆の光に。
六道を廻り、暗闇を知り、全てを知った自分の想像とは遥かに違う男。
人を信じ、光を求め、誰かの為に命をかける愚かな男。
世界最大のマフィア、ボンゴレ・十代目ボス
沢田綱吉。
彼を利用しよう。ボロボロになるまで使い、棄ててやろう。
憎いマフィアの頂点に立つ男がなんて滑稽な最期を迎えるのだろう。
愉快で腹が痛かった。
そして計画した。
それこそが、完璧な計画の破綻の始まりだとも知らずに。
六道骸の最初で最後の失態。
オレンジの光に負け、復讐者に捕らえられ、光も音も届かない場所に身体が在ったとしても関係などなかった。
元々の闇である自分には怯むに足りない世界だった。
そのはずだった。
オレンジの光が暗闇に差して、初めて六道骸は恐怖したのだ。
光に。
自分に射した光にだ。
温かな光に惹かれてしまった。そんな必要などないのに。
人間の常識など必要ない。
何故なら自分は黒く染まり、常識も何も必要ない世界にいるのだから。