祠堂卒業後(未来捏造)

□We are
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 音楽に関して口は出せない。
 佐智とのレッスンはもちろん、託生の練習の邪魔をするつもりは毛頭ない。
 だが。
 音大に入学して随分と意識が変わったようですね。とは練習を耳にしたらしい大木さんの言葉だ。
 確かに、託生のサロンコンサートに対するモチベーションは、明らかに去年までとは違う。
 わずかな時間でもバイオリンを弾こうとする。それはつまり、相対的にオレと過ごす時間が減るということだ。
 正直に言えば、それを不満に思っていないわけではない。しかし、それ以上に不満なのは、託生がそれを大したことだとは思っていないことだ。


「楽しいか?」ときけば、満面の笑顔で「うん」と答える。
 受験のために毎日バイオリンを弾き続け、音大に入学してからはやっぱりレッスンのために毎日弾いて、前よりちゃんと弾けてる気がするんだ、と胸を張る。
 そして、うっとりした顔で続けるのだ。
「これもみんな佐智さんのおかげだよ。佐智さんってほんとにすごいよね」と。
 佐智への傾倒ぶりはやっぱり度を越えてるように思える。面白くないのは当たり前だが、今さら佐智相手に妬いたりしない。
 佐智に限らず相手が一人の人間であるのなら手段はいくらでもある。
 しかし、今託生の関心を占めているのは、そんなちっぽけなものじゃない。今まで託生が自ら眼をふさいで感じないようにしていた、自分を取り巻く刺激に溢れた世界そのものだ。
 そんなもの相手にオレはどうやって張り合えばいいのだろう。



 例年通り行われたサロンコンサートは、例年通り大盛況だった。
 弾き始めるまでは緊張していたけど、最初の一音を奏でたとたんに悠々と音の中を泳ぎだす。託生のためにオレ自身がもう一度開いた世界だというのに、苦さを感じるようになったのはいつからだったろうか。
 最後の一音が空に融けて、一瞬の静寂の後、空気が拍手ではじける。
 マリコさんはやっぱり託生の演奏がお気に召したようで、大絶賛だったし、託生も嬉しそうだ。
 何より、演奏そのものが楽しいのだとわかる。託生が楽しいのなら、託生の精神(きもち)が充実しているのならそれは喜ばしいことであるのに。
 託生の世界が広がったことは音にも顕れているようで、佐智はご満悦だし、雅彦さんも素直な賞賛を贈っていた。



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