祠堂卒業後(未来捏造)

□光の道
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いまさら手放すことなどできないから
誰が何を言おうと
誰に何を言われようと
かまわない
だから
それがあいつに向かわないこと
向かわせないこと
それはオレが背負うべきものだから






光の道






 託生のご両親にはもう何度かお会いしている。
 食事を共にしたこともあるし、静岡の実家に泊めていただいたこともある。
 回数を重ねるごとに託生の親父さんの目が何かを言いたげな光を湛えていることに気付いていないわけではなかった。
 だから、兄貴の墓の前で会って、夕食を四人でとることになった時にある程度の覚悟は出来ていた。
 例年ご両親は15日に──祥月命日に墓参りをするのに、今年に限って託生の帰国に合わせて5日も早く来ているのだから、腹をくくるしかない。
 都内までもどってホテルのレストランで食事したあと、託生が席をはずした隙に、お袋さんの目を盗むようにして、小さな声で「少し時間をもらえるか」と聞かれた。
 ご両親の間でどういうやりとりがあったのかはわからないが、オレが急用が入ったから先に章三の店に行っててくれ、と託生をタクシーで送り出した時には、お袋さんの姿もすでになかった。
「飲みながらでいいかね」
 かまいませんよ、と答えたけれど、それは素面では話しにくい内容だという牽制に他ならない。
 そのまま踵を返してエレベーターにむかう背中を追いながら、おい崎義一、ここが正念場だぞ、と自分に言い聞かせた。


 最上階のバーラウンジはまだ早い時間のせいか、人影はそれほどなかった。
 夜景を見下ろす窓に向かうカウンター、週末の夜なら恋人達が肩を寄せ合うのだろう席で、親父さんと隣り合う。
 真っ向から顔を見ていては話しにくい話題には最適のポジションだよな。
 ウィスキーで唇を湿すと親父さんは、ゆっくりと口火を切った。
「託生にとって、崎くんは……」
 言いかけて宙に消える言葉。
「いや、崎くんにとって託生はどういった存在なのだろうか」
 言い直された言葉にオレは慎重に選んだ言葉を返す。
「託生は、オレの一番大切な存在です」
 嘘をつきたくはなかった。
 たとえ、それがオレの独りよがりな自己満足だったしても、恐らくオレたちの関係を察していて、それでも黙認という形をとってくれている託生の親父さんに対して、口先でごまかすようなことはしたくなかったんだ。
「オレは託生にたくさんのことを教わりました。何度託生の存在に救われたかしれません」
 ひとかけらの嘘もない、それは真実。
 祠堂にくる前も、託生がオレを知る前ですら、オレは託生に助けられていた。託生がいたからあの暗い水面に引き込まれることなく歩いてこれたのだ。
「託生にとっての崎くんも、同じなんだろうね」
「そうでありたいと思っています」
 託生がオレを支えてくれる、オレに与えてくれる、その質量の半分でもいい。オレは託生に何かを返せているのだろうか。
「君に対する信頼の強さは、高校時代からわかっていた。今の託生があるのは……私達が家族らしさを取り戻せたのも、君のおかげだ」
 同じようなことは託生も何度か口にしていた。
「家族間のことはそれぞれの努力の結果であって、オレは関係ないですよ」
 そのたびに返していた言葉を同じように口にしたが、親父さんはいや、と首を振った。全て諦めていたのだと。
「君のおかげだ」
 託生がそれに対していつも「ううん。ギイがいたからだよ」と微笑むのと同じように親父さんも微笑んだ。
「託生がアメリカに行ったのは、君がいるからだろう?」
 ずっと窓の外に向けられていた視線がちらりとオレに向いた。
「託生の意思ですよ」
「別に君が無理強いしたなどと思っとらんよ。あの子は頑固だから」
 人の意見に左右されて身の振り方を決めるような息子ではない、と言葉の端に誇らしげなニュアンスがこめられている。
 大学を卒業したらニューヨークに行きたいと言い出したとき、なぜニューヨークでなければならないのか、問いただしたのだと親父さんは言う。それはまぁ、そうだろう。親として当然だ。
「そこが自分の場所だと、私の目をまっすぐに見て、あの子は言い切ったよ」
 あぁ、目に見えるようだ。
 普段は頼りなくさえ見えるのに、ここぞという時の託生は近寄りがたいほどに凛としている。
 黒目がちの瞳は何もかもを飲み込んで、ほんのわずかさえ揺るがない。
「その目を見て、反対できないと思った……いや、反対してはいけないとわかったんだ」
 託生は自分の足で自分の道を歩いていけるのだと、父親としてそれを妨げてはいけないのだと、そう感じたと親父さんは言う。
 見下ろす夜景の、光の筋のようにのびる高速道路を辿る視線。それがそのまま託生の歩く道であるかのように。




「尚人のことは……」
 いい差してやめたのは、墓参りに毎年同行している時点で兄貴のことを何もかも承知だと、わかっているからだろう。
「私達をひどい親だと思っただろうね」
 自嘲に満ちた口調だった。
「言い訳にしか聞こえないと思うが、私は──私達はことさら託生に冷たくした覚えはないんだ」
 それはそうだろうと思う。先天的に心臓病を患っていたという託生の兄貴。身体的に何の問題もない託生よりも優先されるのはいたしかたない、と。けれど、それは親の理屈であって、当事者には意味のないことだ。
「オレは託生から聞いたことしか知りません」
 初めて話しを聞いたとき、うらんでいるのか、と聞いたオレに、たぶんね、と答えた託生。
「ですから、オレには何も言うことはないです」
 託生の両親を糾弾してやりたい、と思っていた時期もあったけれど、託生が許している以上、オレが口出すべきものではない。
「それに、どんな過去があったとしても、それが託生を作り上げてきた要素である以上、オレは否定しません」
 ことあるごとに感じてきた。
 託生がたった一人で守りきったその無垢な心のありようは、そのままの託生でオレと出会うためだったのだと。
「そして、これから未来(さき)も」
 だから、これからはオレが守ると。
「……それは、託生の人生を背負う覚悟がある、ということかね?」
「もちろんです」
 たとえどんな未来があろうとも、オレはもう託生を手放すことなどできやしない。
 どんな苦難も二人なら越えていける。
 そんな甘っちょろい考えでいるわけじゃない。
 ただ、オレがオレであるためには託生が必要なだけだ。
「……ありがとう」
 スツールの上で親父さんは身体をひねり、オレに向かって深々と頭を下げた。
「オレは礼を言われるようなことはしてません」
 むしろ頭を下げるべきはこちらのほうだ。
「それは、オレの台詞です」
 スツールを降りるとオレは親父さんに向かって頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございます」
 託生が選んだ道を認めてくれて。
 託生の隣に立つ人間としてのオレを認めてくれて。
 二人の未来を認めてくれて。
 互いに頭を下げあって、もう少し飲んでいくという親父さんに、付き合う意思をみせると、笑って断られた。
「託生が待っているのだろう」
 そう言われてしまえばオレは苦笑いするしかない。
「では、この一杯だけ」
 まだ半ば以上残っているカットグラスを掲げる。
「君と託生の未来に」
 親父さんは自分から軽くグラスを触れ合わせてきた。
「ありがとうございます」
 それ以外、言葉はみつけられなかった。
 窓の外、見下ろす夜景のなか幾筋もの道がのびている。
 交わり、曲がり、そしてどこかに辿りつく。




「あれは絶対に認めないだろう」
 あれ、とはもちろんお袋さんのことだ。わかっていたことだがぴくりと身体がこわばった。
 高校時代よりもはるかに強固になったはずのポーカーフェイスと自制心は、こと託生のこととなると脆くなる。
「二人のことを認めない、という意味ではないよ」
 オレの考えを穏やかに否定した言葉にまじまじと顔を見つめてしまった。
「仲を裂こうだとか、そういう意味ではなく、事実を受け止めることができない、という意味だ」
 事実がどうであれ、それそのものを拒否するようにしか心が動かないということか。
「だから、気にしないでくれ」
 恐らく、託生が結婚しないことも問題にしないだろう、と親父さんは続けた。
 一般的に言えば、そろそろ彼女の一人もいないのかと心配する年頃だが、それを意識に上らせることもしない。無意識のうちに、考えることを拒否しているのだと、親父さんは悲しそうに少しだけ口の端をもちあげた。
「あの雨の日のことを、あれは覚えていない」
 それはもちろん、託生が心に持ち続けていた期待という名の細い細い糸を断ち切った日のことのことだろう。
「母親として、我が子に向かって決して言ってはいけない言葉を口にした。その自責の念に耐えられなかったのだろう」
 その日を含めて一切を切り捨て、なかったことにしてしまったのだと、親父さんは言う。
 自分の考えに固執するところがあり、自分の理解が及ばない範囲には目を向けない、そんな傾向があるのだと。
「そんなところばかり尚人は母親に似てしまった」
 精神的なものは遺伝によるものばかりではない。恐らくはそれ以上に母子のありかたみたいなものがあったのではないか、と思うが、オレはカウンセラーでもセラピストでもない。まして、子を持つ親の気持ちなど、理解りようはずもない。
「どうして尚人があんなことになってしまったのか……」
 親父さんは自嘲気味に笑った。
「いや、今となってはどうでもいいことだし、君に言うべきことでもないな」
 確かに今更とやかく言っても詮の無いことだし、オレに言われてもどうしようもない。
 ただ、誰かに聞いて欲しい親父さんの気持ちはわかる。おいそれと口にできる話題でもないが、託生の側からとはいえあらかたの事情を知っているオレはちょうどいい相手なのだろう。
「ひょっとすると私は助かったと思っているのかもしれない……」
 親父さんは酔っていたのだろう。口の中で呟かれる言葉は不明瞭で、オレには届かない。
「ありがとう、崎くん」
 そこだけはっきりした口調で言うと、親父さんはグラスに残っていた水割りを飲み干した。






 親父さんと別れて章三の店へと向かうタクシーの中、オレは目を閉じて託生の顔を思い浮かべていた。
 託生。
 いますぐお前を抱きしめたいよ。
 親父さんが認めてくれたと話したら、お前は安心してくれるだろうか。
 お前の心の重荷が少しは薄れるだろうか。
 バーから見下ろした光の道をお前の元へと辿る。
 いつもこんなふうに光に守られた道ではないだろうけれど。
 お前が心安くいられるためなら、オレはどんなことでもしてみせる。
 お前に惜しむものなどオレには何もない。
 オレの全てはお前のものだ。





fin.
2011/01/10



+++after+++
書きかけてずっと放置していたものをやっと公開。未来捏造を書くにあたって、ギイの家族や託生の家族は二人の関係をどう受け止めるのかといろいろ考えたんですが、託生のお母さんは真実と向き合えない人なんじゃないかと思いました。託生のお父さんは情報が少なすぎて完全なる捏造ですね。いったいどんな人なんだろう。
崎家は託生をすんなり受け入れてくれそうな気がします。

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