祠堂学院在学中

□木漏れ日は雪のように
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 天気予報よりはいくらか遅れたが、授業が終わる頃には雪もやみ、薄日がさしていた。
 用があるという章三と教室で別れて、踏み出した雪原に見慣れた後ろ姿。おもわず目で追ってしまう。
 積もった雪に足を踏み出して、そっと持ち上げる。
 ついた足跡を見ているのだろうか。フードの陰からのぞく口元が小さく綻んでいるのが見える。
 見守る視界を横切って、雑木林のなかへ入っていく。
 おい、雪に慣れてないんだろ? 大丈夫か? 遭難するぞ?
 そっと後を追ってしまったのは、なにも本当に遭難するなんて思ったからじゃない。ただ、見ていたかっただけだ。
 その姿を。
 その瞳で見るものを。

 白く彩られた濃緑の椿の葉にそっと手袋に覆われた指先を伸ばす。
 葉をひっぱると積っていた雪がぱらぱらと降って来る。
 慌てたように勢い良く手放すと枝がたわんで跳ね返り雪を散らす。
 落ちてくる雪に驚いたように顔を上にあげる。
 口元がさらに綻んだ。

 コートに降りかかった雪片を払いもせず、きょろきょろと視線を飛ばしながら奥へ奥へと入っていく。
 絶妙なバランスで細い枝にこんもりと積もる雪をじっとみていたかと思うと、風向きのせいでほとんど雪の積もっていない木の根元にしゃがみこみ、枯れた下草に手を伸ばす。
 行動を見ていれば、何に目を惹かれ、興味を持ったのか、手に取るようにわかる。
 こんなにも感じる力があるのに、なぜ無関心だの冷血漢だのと言われなければならない。
 そんな風聞を耳にするたびオレは憤りを覚えているというのに、当の本人は、理不尽な対応に怒ることもなく、誰かに助けを求めるでもなく、淡々と日々を過ごしている。
 だからこそ、庇うこともできずにオレは見守ることしかできない。それがたまらなく悔しい。
 オレが見ているとも知らずに、無防備なまま、穏やかな表情のまま、雪の白さに縁取られてそこにいるのに。
 どこまでも一方通行なこの想い。
 その優しい視線でオレを見てくれないか。
 柔らかい笑顔をオレに見せてくれないか。
 頼むから。
 ──託生。



 心の中で呼びかける名は、決して口にさせてもらえないファーストネーム。
 名前を呼ぶどころか、会話をしたことさえ数えるほどだ。
 教室や寮ですれ違うときに「おはよう」と声をかけても挨拶すら返ってこないのだから会話がなりたつはずもない。


 最初の会話は入学式も終わって数日たった頃だ。──入学式から何日もたっているというのに、同じ寮で寝起きし、同じ食堂でメシを食べ、同じ教室で授業を受けているというのに、オレは託生と会話をしたことがなかった。
 クラス内の勢力図が徐々にできあがりつつあるこの時期に、ちっともクラスに馴染もうとしない、それどころか自分から拒絶の殻に閉じこもる託生に対して、不穏な空気が流れ始めていた。
 それをどうにかしたくて。いや、それよりも、とにかく託生と話したくて、オレを見てほしくて、意を決して声をかけた。
 そのとたんに凍りつくように動きをとめて、オレを見る目は『ぼくに話しかけるな』と叫んでいて、用意していた言葉は喉元から奥へと滑り落ちた。あせったあげくに口にしたのは「葉山は自己表現がド下手だな」なんて、確かにこの数日でずって思っていたけれど、愚にもつかない言葉。
 その頑なさをオレなら理解してやれる、という意味をこめて、いつかは伝えたかったとはいえ、なんでまるで託生を否定するような言い方で、しかもこんな時に言ってしまったんだか。
 黒目がちの大きな瞳が見開かれ、普段は拒絶しか現われないそこに驚きが浮かんでいる。
 まじまじと見つめられて、その瞳にすいこまれそうな気がした。無意識のうちに拳を握り締め、掌にくいこむ爪の痛みに我に返る。
 託生は変わらずオレを凝視するだけで、応えてくれる気はないらしい。そりゃそうだよな、あんな台詞に何をどう答えろっていうんだ。
 自嘲を含めて肩をすくめるとオレは託生に背を向けて教室を出た。苦い後悔を噛み締めながら。


 あの時の言葉、表情、ひとつひとつを克明に覚えている自分を滑稽だと自嘲しながらも、そんな些細な出来事を宝物のように大事にしている自分をけなげだとも思う。我が身の不幸に酔うつもりなどないが、そんな感情を知ることも、祠堂にこなければなかったのだ。
 



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