祠堂卒業後(未来捏造)

□二度目の蜜月
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 ボストンの中心街から少し離れたバックベイという高級住宅地に崎家が保有するマンション、現在はギイが使用しているというそこは、案の定、というか、当然というか、とっても立派な部屋だった。
「ここが託生の部屋な。好きに使ってくれていいから」
 なんだか前にも聞いたことがあるような台詞に頷いて、ぼくはギイに運んでもらったスーツケースを部屋に押し込んだ。
 NYのマンションよりは狭いし、調度も簡素だけれど、大学の寮はもちろん、静岡の自室よりもはるかに立派で、充分な広さをもつ部屋の入口にぼくは立ちすくむ。
 箪笥みたいなのはないからあの扉がクロゼットだろうか。あのベッド、ダブルサイズだよね? 窓にかかるカーテンはひだがたっぷりと取ってある。
「荷物置いたらダイニングにこいよ。コーヒー入れとくから」
 早口でそれだけ言ってぼくから離れたギイに、違和感を感じながらもぼくはとりあえずスーツケースを開けた。
 ステイ先のご家族へ渡すように、と母から渡されたおせんべいとお茶を持って、部屋をでる。
 すわり心地のよさそうなソファのあるリビングを通りすぎてダイニングへ。
 テーブルの上に用意されたコーヒーの香りは、懐かしいバニラ・マカダミア。
「まだこれのブームが続いてるの?」
「そういうわけじゃないけどな。託生が来るから島岡に買いに行かせた。懐かしいだろ?」
 つまり、相変わらず島岡さんはギイに振り回されてるってことだな。
 木のスツールに腰を下ろしてコーヒーを一口。あ、ほんとに懐かしいや。なんだか落ち着く。
 コーヒーの熱さと苦味が、ようやくぼくが受けたいろんな衝撃から回復させてくれたようだ。 
「ねぇ、ギイ」
 ぼくはずっと疑問に思っていたことを、ギイに再会したときから不思議に思っていたことを聞いてみた。
「なんで、ギイ、ボストンにいるの?」
 すると、
「おまえ、ハーバードがどこにあると思ってんだよ」
「……」
 げらげらと笑うギイに、反論する術がぼくにはない。
 だって、アメリカで一番有名な名門大学なんだろ? ぼくでも名前を知っていたくらいの。
 日本で一番有名な東京大学は日本で一番大きな都市である東京にある。だから、ハーバード大はアメリカで一番大きな都市であるニューヨークにあるものだと思いこんでいたのだ。
 言い訳にもならないけれど、ギイは祠堂を卒業したら「アメリカに帰る」って言ったのだ。「帰る」というからには、実家のあるNYに住むと思うじゃないか!
「オレ、ちゃんと住所教えたよな?」
 ちゃんとマサチューセッツ州って書いてあったろ?と笑うけれど。
「……」
 確かに教えてもらってはいた。祠堂を卒業するときに。
 日本と違って9月から新学期が始まるアメリカ。祠堂を卒業した3月からの半年近く、アメリカと日本を行き来しながら、その間にヨーロッパに立ち寄ったりしながら過ごしていたギイと連絡をとるのに、住所なんてなんの意味もなかったじゃないか。
 携帯電話とメールで用は足りたし、エアメールなんかより確実だった。
 しかも、当然ながらギイのくれたメモは全てアルファベットで書かれていて、ぼくはろくすっぽ見ないまましまいこんでしまったのだ。
「二年間も勘違いしてたなんて、相変わらずの大ボケぶりだな、託生」
 まだくすくすと笑い続けるギイにぼくは何も言い返せない。
 でも、そうか。
 だからだったんだ。




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