死神と逃げる月
□全編
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《大事な神様》
「黒助よぉ。俺たちホームレスにとって一番大事な神様って、誰だか分かるか?」
全身真っ黒のそいつが俺の前に姿を見せたのは、実に4ヶ月ぶりだった。
彼は俺の顔を見るなり、分かりやすく眉をひそめた。
だが俺は気にも留めず、彼の隣に腰掛けてそんな話を始める。
「それは死神だよ」
答え合わせが予想外だったと見えて、思わず彼は俺の方へ振り向いた。
頭の中では、絵画に描かれるような神様の姿でも思い浮かべていたのかもしれない。
「俺たちはいつ死んじまうか分からないからな。病気したって医者にかかる訳にもいかない。保険にも入れないしな」
彼が何も答えないので、勝手にどんどん話を進める。
「とにかくさ、俺たちは常に死神様の傍にいるってことだ。それならちゃんと大事にしなけりゃな」
「死神様と来たか」
黒服の男はようやく口を開き、まるで自嘲するように笑った。
「死神なんか大事にしても仕方ないだろう」
思った通りの反応が返ってくるもんだから、俺はますます得意げになって語りかける。
「だけどよぉ、それじゃ可哀想だと思うんだな」
「可哀想とは、どういう」
「野球やってた頃に厄介な怪我をしたんだ。結果的にはそれが引退に繋がったんだけどよ。リハビリしながら何度も神様にお願いしたのさ。また試合に出られますようにってな」
だけど、そんな願いは叶わなかった。
そりゃそうだ。
レギュラー奪うために必死なのは俺だけじゃない。
「なあ黒助。いくら神様でも全員の願いを叶えることなんて出来ないさ。いや競合する相手がいなかったとしてもだ、神様が願いを叶えてくれることなんて滅多にあるもんじゃない」
「ああ、それは確かに期待しすぎだ。この世の多くのことは神様にもどうにもならない」
「そうだ。それなのに、誰かが死んだ時だけは全部“死神のせい”だなんて。そんなのおかしいだろう」
「む……」
初めて耳にする理屈に、彼は目を丸くしていた。
本当に素直で可愛い新入りだと思う。
「死神様ばかり嫌われてちゃ可哀想だ。そう思わないか?」
俺はもう一度、彼の返事を促した。
「…いや、思わないね。それが死神様の仕事なんだろうさ」
そう言いながら彼は、気恥ずかしそうに帽子のつばを下げていた。