死神と逃げる月

□全編
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《バスを待つ・2》




ベンチから見えるその景色は私の思い出を呼び起こす。
あの子がバスに乗って行った時の、空の色まで鮮やかに呼び起こす。




眺めていたら、ついつい長居してしまったらしい。
雪が降る前には帰るつもりでいたのに、道行く人々は傘を開き始める。




私も早く帰路につこう。
立ち上がった時、道路の向こうからゆっくりと光が近付いてくるのが見えた。




バスだ。
時代とともに廃れて、バス会社からも見放されたはずの通りを、それは走ってくる。




窓には街路樹が映り込み、中にどれだけの人が乗っているのかは分からない。




もちろん私の待つ人が乗っている訳ではないと思うが。




バスは、かつてバス停のあった場所に静かに停まった。




「ああ、ここだここだ。この街だ」




誰かが降りてくる。
黒い靴が見えた。




そこから視線を上げる。
黒いマントに黒い帽子。そして黒い手袋。
表情を隠すくらいに伸びた髪の毛も真っ黒だ。




全身を黒で固めたその男の輪郭は、白い粉雪とのコントラストで浮かび上がって見えた。




「婆さん。ここは、いい街だね」




男が話しかけてきた。
私は怪しむこともせずに、頷いた。




「いい街だよ。初めて来たのかい」




「今日からこの街に住むことにしたんだ。いや住むことになった、かな」




「バスで来る途中、あの子を見なかったかい。ずっと待っているんだけど」




「見なかったなあ」




誰のことを訊いているのか、確かめもしないで男は答えた。
私の方も期待はしていなかったし、きっと話し相手が欲しかっただけなのだ。




「婆さん、死神っていると思うかい」




突然、男がそんなことを言った。




言われてみれば、男の装いはまるで死神。
これで鎌でも持っていようものなら、私も見た瞬間そう思っただろうに。




「なんだい。そうか。あんた死神だったのかい」




ああ、それじゃあいよいよ私もお迎えが来たんだね。




まさかバスで来るとは思わなかったけれど。




「俺が怖くないのかい」




「私はもう年寄りさ。心残りは少しあるが」




安心しなよ。
婆さんはまだ行かなくていい。
その心残りが晴れたら、また会いに来るからね。




男はそう言い残して、マントを揺らしながら歩いて行った。




彼の言葉が少し気になったけれど、家とは反対の方角だったので、追いかけたりはしなかった。




バスは、いつの間にか消えていた。
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