死神と逃げる月

□全編
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《逃亡者》




僕は見てしまった。




この街を流れている川の土手の上の道の先の工事現場の向こう。




いつの間にか設置されていた自動販売機の脇の一ヶ所フェンスが破れたところをくぐり抜けて、




怪獣みたいなショベルカーが山を少しずつ削りとってできた黄土色の坂を慎重に登って、




木々の間を風になってすり抜けながら今はもう使われていない錆びた水道管が剥き出しになっているその山小屋の、




僕の秘密基地であるその山小屋の中に足を踏み入れた瞬間。




僕は見てしまった。




ガラスが外れた雨ざらしの窓の枠にヒジをついて、木々を眺めている女の人の後ろ姿を。




「誰だよう。ここは僕の秘密基地だぞ」




それにそこは僕の特等席なんだぞ。
ランドセルに差したリコーダーに手を伸ばし、ビームの準備だ。




女の人は振り返る。




年齢は高校生くらい。
どこかで見たことのある人だった。




そうだ、この人はビリー・ジョンの飼い主だ!




悪の秘密結社バックギャモンが、この場所を嗅ぎつけたんだ!




あの真っ黒な服の男が仲間を呼んだに違いない。




大変だ。どうしよう。




ここは一時退却。
それとも戦う?




でも僕には、そのどちらもできなかった。




だって、その女の人は。




「泣いてるの?」




その女の人はポロポロと涙をこぼしていた。




「秘密結社の人だろ。なんで泣いてるの?」




「秘密結社…?」




女の人は涙を拭って、大きく息をする。




それから僕に「そうだよ」と言った。




「でも私は秘密結社にひどい仕打ちをされて、抜け出してきたの。もう悪いことはしないから、ここに匿ってくれない?」




僕は少し考えた。




ヒーローは、泣いてる人には優しくしてあげないとダメだ。




例え相手が敵だったとしても。
あのヒーローだってテレビでそう言ってた。




「わかった。いいよ。特別に立ち入り許可証をあげる」




待ってて、今書くから。
ランドセルの中から筆記用具を取り出す。




嘘吐きな彼女は、その時ようやく少し笑った。
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