死神と逃げる月
□全編
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《社会科の時間》
(毎年8月になると平和を願わずにいられないのは、この国に生まれたからなんだろう)
(だけど…この国だけでなく世界中が足並みを揃えて平和を願う8月にできないものかな)
(そう言えば昨日見た映画にも、戦争のシーンがあった)
(良い映画だった。良い映画だったな)
(特にあのシーン。大人になった二人が再会を果たして、)
(そして……)
「ねえ、アパルトヘイトって何だっけ」
その言葉で、暢気な彼は我に返った。
嘘吐きな彼女が、くりっと丸い瞳で真っ直ぐに彼を見ている。
そうだ、今日は二人で一緒に勉強会をしていたのだった。
「人種隔離政策」
「ああ、そうそう」
彼らは受験生なので、時々こうして勉強会を開いている。
暢気な彼は結構な優等生で、理数系が得意なのだが一番好きなのは社会科だったりする。
対して彼女は知性より感性の人であるから、国語と体育、それから芸術科目に秀でている。
そして一番苦手なのが社会科だ。
「ホロコーストは?」
コップに麦茶を注ぎながら暢気な彼は答える。
「第二次世界大戦中に起きた大量虐殺」
頷きながら顔色ひとつ変えずに、歴史上の重大な事件や人物の名前を丁寧にノートに書き込んでいく。
そんな彼女の様子を見ていると、何とも言えない不思議な心地がした。
とても衝撃的な歴史であるはずなのに、受験生の彼らにとってはそれが何という名前で何年の出来事なのかが重要なのだ。
(人類の歴史は戦争の歴史だって言った人もいたなあ)
(この間のニュースでも、某国の元首が戦争を起こすんじゃないかって言っていたけど)
(歴史を勉強すればするほど、そういうニュースにも慣れて現実味を感じなくなっている気がするんだ)
「ねえ」
「うん。次は何?」
どれどれ、と彼女の開いているページを覗き込む。
「昨日の映画、良かったね」
コップの中で氷の転がる音がした。
暢気な彼は笑顔で答える。
「うん、良かった」
冷たい麦茶を飲みながら、昨日見た映画の話を時折交え、
そしてまた自分たちの生まれる前に起きた事件をおさらいしていく。
それが彼ら二人にとっての、社会科の時間。