死神と逃げる月

□全編
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《喋る猫》




このところ駅前の通りがとても騒がしい。




聞くところによると新作の映画が原因のようだが、猫のサチコはまだ映画というものを見たことがない。




(そんなに素敵なものなら、一度お目にかかりたいものね)




サチコは通行人の会話を聞くのが趣味だ。




テレパシーが使えるので、ブティックの中にいても駅前の人混みから色々な話が聞こえてくる。




噂話の類いも嫌いじゃないが、何より自分の知らない話を聞けるのが楽しみなのだ。




「ねえねえ、知ってる?」




今日もあくびをしながら好奇心を張り巡らしていると、どこからか高校生らしきカップルの会話。




「何?」




姿は見えないが、この2人も映画とやらを見に行くのだろう。
男の子の手にはチケットが握られているに違いない。




しかし女の子は、突然こんな話を始めた。




「雲ってね、食べるとブドウみたいに甘い味がしてね」




(何を言っているのかしら。そんな訳ないじゃない)




サチコは呆れながらも、初めて聞くその話の続きが気になった。




「それでね、鳥は雲を食べて生きているの。だから体が軽くなって飛べるんだよ」




「へえ、そうなのか」




どうやらこの女の子は嘘を吐くのが好きらしい。




男の子も暢気に相槌を打っている。




(暢気な彼に嘘吐きな彼女ね。何だか可愛らしい2人だわ)




サチコは寝そべって目を閉じながら、2人の会話を聞いていた。




「ねえ、宇宙人っていると思う?」




また突然、話が変わった。
この2人はいつもこんな会話で成り立っているのだろうか。




「どうだろう。いるかもしれないし、いないかもしれないな」




男の子は話を聞いているのかいないのか、相変わらずハッキリしない返事を返す。




(私はいると思うわよ。UFOだってね)




サチコはずっとUFOを待っていた。




「いるよ。だって私、宇宙人に会ったことあるもん」




「本当に?どこで」




「小さい頃プールに行ったらね、浮き輪でプカプカ浮かんでた」




(…さすがにそれはないわね)




想像したら可笑しくなってきた。




彼女の嘘は余りにも常識離れしている。
子供じみたデタラメな作り話。




「あ、ねえ知ってる?」




さあ今度はどんな嘘を吐くのだろう。




「あそこの猫、人の言葉を喋るんだよ」




サチコはドキッとして、目を開いた。
ブティックの前を若い男女が通り過ぎていく。




「人の言葉を?すごいな」




「でね、夜になると月を探して空を見上げるの」




(…あながち間違ってもいないわね)




そう言えばあの女の子、以前にどこかで会ったような気がする。
サチコは後ろ姿をじっと見つめていた。




「月を見上げるのはオレも好きだよ」




2人はそのまま手を繋いで、映画館の中へ入って行った。
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