死神と逃げる月

□全編
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《アルバイト募集中》




その日は予報通り夕立が降っていた。




僕は傘を閉じて水滴を軽く払ってから、その傘を店頭の傘立てに差し込んだのを覚えている。




それは間違いなかった。




「いらっしゃいませ」




いつも僕がバイクの給油で訪れるガソリンスタンドの傍には、牛丼チェーン店がある。




時々そこで食事をとるのだが、今日店に入ると「アルバイト募集中」の張り紙がしてあった。




「ええと…じゃあネギ玉牛丼」




席についてからも僕は何となく気になって、しばらくその張り紙を眺めていた。




もちろん新しいアルバイトを探している訳ではない。
僕にはちゃんと郵便配達夫の仕事がある。




ただ、その張り紙の前の辺りに、誰かが座っているような気がするのだ。




「うちの仕事に興味がおありですか?」




そんな僕の様子に気付いて、店長さんらしき人が話しかけてきた。




慌てて「あ、いえ、間に合ってます」と答え、運ばれて来た牛丼を受け取る。




「そうですか。まあ気が変わったらいつでもどうぞ。うちも人手不足なもんでね」




「あれ?でも確か、最近新しい人が入りませんでしたっけ」




先週ここに来た時には、「研修中」のプレートを付けた青年が働いていたはずだ。




もう辞めてしまったのだろうか。




「ああ…」店長さんは少し気まずそうな顔をした。




「彼ね、亡くなったんですよ」




「え?」




「バイク事故だそうで。お兄さんも気をつけてくださいね」




その時だった。




何者かが、僕の後ろを通って店を出て行った。
いや、そんな気配がしただけだ。




ただ、その何者かが自動ドアを通り抜ける一瞬、僕は見たのだ。




黒いマントに黒い帽子。そして黒い手袋。




後ろ姿ではあったが、その男は全身を黒で固めていた。




先ほどまで、店内にそんな男の姿はなかったのに。




まるで死神のような出で立ちだ。




そうだ。
あれはきっと、アルバイトの青年をあの世へ連れ去った死神だったのだ。




僕は途端に怖くなり、急いで牛丼をかき込むと店を出た。




「あれ、無い…」




確かに傘立てに差し込んだはずの、僕の傘が無くなっていた。
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