死神と逃げる月

□全編
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《好き嫌い》




「あ…」




僕らの再会は海辺だった。




「あれ、君は…確か魚屋の。久しぶりだね」




海風を受けながら佇んでいた彼女に手を振る。




「本当に久しぶり。高校を卒業して以来ね」




口数の少ない彼女も小さく手を振って、僕らは歩み寄った。




「そんなになるか。家は近所なのに、不思議と会わないもんだね」




「…私はいつも魚屋の店番ばかりしているから」




「それに引き換え、僕はほとんど家に帰ってないや。そりゃあ会わない訳だ」




彼女は高校時代に知り合った、魚屋の娘だ。




教室の隅の席、いつも一人で難しそうな本を読んでいた姿を覚えている。




彼女は僕の胸元を指差して言った。




「カメラ。写真家になったんだね」




「とんでもない。まだ愛好家レベルさ」




「羨ましい。追いかけるものがあって、自由に飛び回って」




彼女の小さな声は海風に掻き消されそうになる。




しかし久しぶりに会った彼女はどうして、こんなに物憂げな顔をしているのだろう。




「魚屋だって立派じゃないか。僕のやってることは仕事なんて言えないよ」




「…だけど私は何処にも行けないわ」




そうか。
彼女は僕と同じだ。




旅人なのだ。
一つ所に収まってなどいられない人種なのだ。




思えば、いつだって彼女は本の世界を旅していたじゃないか。




そんな彼女が、今は鎖に繋がれている。
元気を無くしていても不思議じゃない。




何処か遠くへ行きたくて、海を眺めていたのだろうか。




「それに」




彼女は、顔いっぱいに嫌悪感を表しながら言った。




「…私、魚嫌いなのよね」




結局のところはそれが、魚屋を離れたい一番の理由なのかもしれない。
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