死神と逃げる月

□全編
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《そう言えば》




「たん!たーん!」




海岸沿いの道に、小学生の声が高らかに響く。




やれやれ、また来たか。
漫画家の彼女はカーテンを開けた。




彼女の起床時間は、小学生の下校と大体同じ頃。




だんだんと陽が傾いていく夕暮れ時。




「たーん!」




それにしても、いつにも増して耳が痛くなる。




昨日、弱い癖に無理して酒を呑んだせいに違いない。




胃の中も少し気持ちが悪い。




「おい。その…」




たーんとか言うの、耳障りだから黙れ。
そう言いかけてやめた。




元々あまり良い性格とは言えないが、特に昨日は相当やさぐれていた。
自分でもそう思う。




何だか無性に腹が立ってしまって、無機物に対してつまらない八つ当たりをした気がする。




そんな自己嫌悪に苛まれている今日くらいは、悪態を吐かずに過ごしてみたい。




「たたん!たん!」




そうは言っても、やはり二日酔いの頭にこの声は堪え難い。




「大体、小学校の位置からしてここは通学路じゃねーだろ」




わざわざ遠回りしてまで、耳障りな声を聞かせに来ているのか。




彼女は窓を、そしてカーテンを閉めた。




「…そう言えば」




ふと気付く。




いつも一人だ。




あの小学生が、誰か他の子と一緒にいるところを見たことがない。




ヒーローごっこなら、何人かでやった方が楽しいだろうに。




「…友達いねーのかな」




カーテンの隙間から、小学生の様子を伺う。




リコーダーを振り回しながら、英雄気取りの小学生は夕陽の中を一人で駆けて行った。
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