死神と逃げる月

□全編
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《海岸にて》




海猫が鳴いている。




気付くと、黒服の男は夕暮れの海岸に立っていた。




どうしてだったか。
ふらふらと気の向くままに歩いているうち、そうなっていた。




死神の性分として、海に入水しようとしている太陽を放っておけなかったのかもしれない。




その時、誰かが悪態を吐いた。




「海なんか、嫌いだ。ばーか」




黒服の男の隣で、女性がしゃがみ込んでいる。




彼女は、確かそうだ。
海岸沿いに並んだドールハウスのような家に住んでいる、仕事のない漫画家だ。




「私は海なんか大嫌いだよ」




彼女は誰に言うでもなく、ただ呟いている。




海岸には他にも家族連れや何処かの大学生がいたが、彼らに向けている訳でもないらしい。




きっと隣に立っている黒服の姿も、彼女には全く見えていないのだ。




黒服は何も答えない。




「海なんて何処も一緒だよ。海岸の景色は色々だけど、沖を眺めりゃ何処も一緒。月は上るし陽は沈むってか。ばーか」




頬の辺りが赤みを帯びているのは、夕陽のせいか。




それとも、彼女の足下に転がっているビールの空き缶が原因だろうか。




「ああ…あの海もこんなだったのかな。うまく思い出せない」




いや酔っているのは確かだが、ひょっとしたら泣いているのかもしれない。
そんなふうにも見えた。




けれど、彼女の眼鏡が光を反射していて目元はよく分からない。




黒服は気まぐれに声をかけた。




「この海の向こうにあるのかい。君の故郷は」




分かっている。
彼女にはどうせ聞こえない。




漫画家の彼女は空き缶を手に取ると、しゃがんだまま海に向かって放り投げた。




「海なんか嫌いなんだよ」




ならば彼女はどうして、海の見えるこの場所に家を借りたのだろう。




彼女はどうして、一人で海を眺めているのだろう。
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