死神と逃げる月
□全編
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《ハナの夏》
太陽の焼けた香り。
草木の華やぐ香り。
潮風の湿気た香り。
ゴールデンレトリバーのハナは夏の香りが大好きだった。
エネルギーを持て余しているその感じが、嘘吐きなあの子と少し似ている。
ハナは毛むくじゃらの体を横たえながら、鼻の先だけで夏を楽しんでいた。
「……」
オカシイわね。
せっかく心地よい夏の空気なのに、何かとても不吉なニオイが混ざっている。
ハナは顔をもたげてニオイの元を探り始める。
余談だけれど、この名前は「花」ではなく「鼻」から来ている。
生まれて間もない子犬を知人から譲り受けたらしいが、まだ目がハッキリとしていない頃に鼻をヒクヒクさせていたところから名付けられたそうだ。
「BOW!」
ハナはただ一声、不審な人影に向かって吠えた。
暑さが堪えているので余り吠え立てる元気はないが、警戒していることだけでも相手に分からせなければ。
「やあ実に利口な犬だ」
夏だというのにその男は、帽子にマント、手袋までしている。
しかも全身、真っ黒。
見てるだけでも暑苦しくて、ますますバテそうになるわよ。
「だけど安心しな。今日はただ、あの子の様子が気になって見に来ただけさ。元気にしてるかい」
けれど、どういう訳か汗の一滴も垂らしていない。
「Grrr…」
「ああ、そうか。あの子は留守か。ありがとう。じゃあまた来るよ」
男が立ち去ったのを確認してから、ハナはまたものぐさそうに寝そべった。
不吉なニオイが消えた後には、何処からか強烈に甘ったるい香りがした。
これは確か、ご近所さんの花壇に咲いている外国の花の香りだ。
ハナは、その香りも好きだ。