死神と逃げる月

□全編
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《野球選手》




英雄気取りの小学生は、その日も夕暮れ時まで街の平和を守っていました。




と言っても、ただ公園の真ん中で、リコーダーとマントで武装しながら飛び跳ねているだけなのですが。




「おい坊主。元気がいいな。おじさんと遊ばないか」




声をかけてきたのは、その公園で生活をしているホームレスの男です。
にかっと笑うと口の奥で金歯が光ります。




小学生はすぐさま答えました。




「知らないおじさんにはついて行っちゃいけないんです」




「ここで遊ぶだけだ。何処へも連れて行かないよ。ほれ、キャッチボールしたことあるか」




男はボロボロのグローブとボールを小学生に渡しました。




英雄気取りの小学生は首を振ります。




「父ちゃん、いつも忙しいから」




「ママは」




「母ちゃん、いないから」




「いつも一人で遊んでるのか」




「遊んでるんじゃないよ。悪い奴と闘ってるんだ」




小学生はグローブをはめてみました。
大人用なのでサイズが合わないようです。




「投げてみな」




少し距離を取って、男がグローブを構えます。




えいっと小学生の投げたボールは地面に2回跳ねてから、男のグローブに収まりました。




「よし。そっと放るぞ。取ってみろ」




男が優しく腕を振ると、ふわりと緩やかな曲線を描いて、ボールが小学生の方へ戻ってきます。




ボールは一度はグローブに飛び込んだものの、しっかり握れなくて落としてしまいました。




「惜しい惜しい」




小学生はボールを拾って、振りかぶります。
今度こそはノーバウンドで届くように、思い切り投げました。




「あっ」




力みすぎたのか、ボールは思いもよらない方向へ飛んでゆきます。




しかし男はそれを見事に、体格に似合わぬ軽い身のこなしで、そして最後は左手をいっぱいに突き出して取ってみせました。




「おじさん、すごい。野球選手みたい」




小学生はまるでヒーローショーを見ているように目を輝かせて言いました。




「おじさん昔、本当に野球選手だったんだ。若い頃な」




男はまた金歯を見せて笑い、ボールを投げます。




それから二人は暗くなるまで遊んで、それぞれの住処に帰って行ったのです。
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