死神と逃げる月
□全編
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《It's gonna rain.》
黒服の男は賑やかな場所があまり好きではない。
先日は地下鉄というものに乗ったが、そんなに混んでいた訳でもないのに肩が凝ってしまった。
駅前の通りにも真っ白な友達がいるからたまに行くけれど、やはりゴミゴミしていてどうにも苦手だ。
とにかく煩わしいものには極力、近寄りたくない。
そういう性格をしている。
「ああ、やはりこういう裏路地がいい。実にいい」
黒服の男は民家の塀に挟まれた細い路地をふらふらと歩いていた。
梅雨入りをしたにも関わらず、雨の降る気配すらない日が数日続いたある昼下がりのことだ。
「あれ、婆さん。久しぶりだね」
路地の向こうから歩いてきたのは、いつかバス停跡のベンチで出会った老婆だった。
「おや。あんたは、あの時の死神じゃないか。もうこの街には慣れたかい」
そう言う老婆の手には傘。
思わず黒服は空を見上げた。
「これかい。今日は夕方から雨が降るって言うからね。いつもより早めの散歩さ」
「へえ、それはいいこと聞いた。雨が降るとは知らなかったよ」
あんたも天気予報くらい見といた方がいい、その真っ黒な帽子とマントがずぶ濡れになるよ。
老婆は笑いながら黒服の男の頭を指差した。
「そうかな、婆さん。先のことが分かっちまうなんて、実につまらないことさ」
「おやまあ、死神がそんなこと言うなんて。雨どころか雪でも降るんじゃないかしら」
道幅の狭い路地を、老婆と黒服はすれ違った。
「じゃあ気をつけて。素敵なお散歩を」
黒服は老婆と別れてまた先を行く。
確かに死神である彼には、その老婆の寿命のことだって分かっている。
それでも先の見えない日々というものを、少しだけ信じてみたいのだ。