死神と逃げる月
□全編
34ページ/331ページ
《金歯の男》
その男、歳は40の頃だろうか。
「まあ街に公園はいくつかあるが、俺は大体ここにいるのさ。この公園が一番いい。何故だか分かるかい、新入り」
肉付きのいい身体に似合った豪快な喋り方をする。
黒服は先ほどから、その見ず知らずの男に生活の知恵を教示されていた。
男は黒服のことを「新入り」と呼んでいるが、未だにその理由が分からない。
黒服が何も答えずにいると、「まあ分からないだろうが」と男は笑いながら話を続けた。
実に嫌味な笑顔だ。
口の奥に金歯が見えた。
「それはな。駅から一番近い公園だからだ。駅は便利だ。と言っても電車に乗る訳じゃないぞ」
黒服はただ、駅前のブティックで猫と世間話をしてから、公園のベンチでぼんやりしていただけなのだ。
男は何処からともなく現れ、いつの間にか隣に座っていた。
嫌味な笑顔を浮かべながら。
「新入りよぉ」男は続ける。
「例えばビジネスマンは電車で新聞を読む。で、読み終わった新聞を駅の近くに捨てていくことがあるんだ。ホームレスだって新聞は読みたいじゃないか。お前も読むだろう」
分からない。
どうして先ほどからこの男は、自分をホームレスの新入りとして扱うのか。
未だにその理由が分からない。
「世界情勢だって気になるし、総理大臣の名前も知らなきゃダメだ。それに野球の結果も知りたいもんな」
黒いマントに黒い帽子。黒い靴。そして黒い手袋。
表情を隠すくらいに伸びた髪の毛も真っ黒。
背筋も猫背気味で、まるで浮浪者。
この風貌のせいだとしたら、実に失礼な男だ。
これが死神にとってはフォーマルだというのに。
「だからお前もな、新聞を読んどいた方がいい。人生どうなるか分からないからな」
黒服は猫とはよく喋ったが、その男に返事をするのは億劫に感じた。
男はその後もずっと隣に座り、新聞から得た経済の知識をひけらかしていた。