死神と逃げる月

□全編
309ページ/331ページ

《弔い》




ホームレスの男は公園の水飲み場で喉を潤してから、木陰に寝転んで空を見上げた。




青色の深い空を大きな雲の塊が、何層にも重なってゆっくり流れている。




まさに夏らしい夏の空。
サウナのような熱気が肌をじりじりと焼いた。




今年は梅雨を抜けてから一気に気温が上がり、早くも40℃を超えた街もあったそうだ。




「しっかし、あちーな」




ペットボトルのお茶を持って汗を拭いながら、若い男がやってくる。




ホームレスのいる木陰に腰を下ろすと、携帯をいじりながら呟いた。




「なあ、おじさん。会いたいのにもう二度と会えない人っているかい?」




何度か話したことはあるが、彼の方から話しかけてくるなんて珍しい。




そう、彼は昔セールスマンをしていた青年だ。




確か今は福祉の仕事に就いているんだったか。




「いるだろうな、長く生きてればさ」




勝手に答えを決めつけて、元セールスマンはうんうんと頷く。




これはきっと回りくどい前置きのようなもので、本当は何か言いたいことや訊きたいことがあるのだろう。




そんな様子が可愛く思えて、ホームレスの男は口笛をひとつ吹いた。




「ああ、いるぜ。会えなくなってから、もう15年は経ったかな」




言いながら、もうそんなに経つのか、と自分で驚く。




「俺、謝りたい人がいるんだけど、もう会えなくて。どうすればいいのかなあ。」




立てた膝に肘をつき、噴水の方を遠く眺めながら青年は問う。




その頬には、汗の粒が流れていた。




「生きるんだよ」




ホームレスの男は体を起こして、口の奥に金歯を光らせながら青年に語りかけた。




「生きること、生き続けることが、居なくなってしまった誰かへの弔いになる。謝ることにもな」




俺はそう思って生きてるぜ。
ホームレスの男は胸を張った。




「そもそも、この命はあの子に繋いでもらったようなもんだからよ。だから絶対、死ぬまで生き続けるんだ」




諭された青年も、口を開けて朗らかに笑った。




「俺だってそうっす。俺が変われたのは、あの婆さんのおかげっすから。生き抜いてやりますよ」




今日の青年はやけに素直だ。




夏の空がそうさせているのだろうか。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ