死神と逃げる月
□全編
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《弔い》
ホームレスの男は公園の水飲み場で喉を潤してから、木陰に寝転んで空を見上げた。
青色の深い空を大きな雲の塊が、何層にも重なってゆっくり流れている。
まさに夏らしい夏の空。
サウナのような熱気が肌をじりじりと焼いた。
今年は梅雨を抜けてから一気に気温が上がり、早くも40℃を超えた街もあったそうだ。
「しっかし、あちーな」
ペットボトルのお茶を持って汗を拭いながら、若い男がやってくる。
ホームレスのいる木陰に腰を下ろすと、携帯をいじりながら呟いた。
「なあ、おじさん。会いたいのにもう二度と会えない人っているかい?」
何度か話したことはあるが、彼の方から話しかけてくるなんて珍しい。
そう、彼は昔セールスマンをしていた青年だ。
確か今は福祉の仕事に就いているんだったか。
「いるだろうな、長く生きてればさ」
勝手に答えを決めつけて、元セールスマンはうんうんと頷く。
これはきっと回りくどい前置きのようなもので、本当は何か言いたいことや訊きたいことがあるのだろう。
そんな様子が可愛く思えて、ホームレスの男は口笛をひとつ吹いた。
「ああ、いるぜ。会えなくなってから、もう15年は経ったかな」
言いながら、もうそんなに経つのか、と自分で驚く。
「俺、謝りたい人がいるんだけど、もう会えなくて。どうすればいいのかなあ。」
立てた膝に肘をつき、噴水の方を遠く眺めながら青年は問う。
その頬には、汗の粒が流れていた。
「生きるんだよ」
ホームレスの男は体を起こして、口の奥に金歯を光らせながら青年に語りかけた。
「生きること、生き続けることが、居なくなってしまった誰かへの弔いになる。謝ることにもな」
俺はそう思って生きてるぜ。
ホームレスの男は胸を張った。
「そもそも、この命はあの子に繋いでもらったようなもんだからよ。だから絶対、死ぬまで生き続けるんだ」
諭された青年も、口を開けて朗らかに笑った。
「俺だってそうっす。俺が変われたのは、あの婆さんのおかげっすから。生き抜いてやりますよ」
今日の青年はやけに素直だ。
夏の空がそうさせているのだろうか。