死神と逃げる月

□全編
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《エアメール》




「ただいま」




魚屋の娘は勝手口から家に入ると、キッチンのテーブルに袋を置いた。




ずっと気になっていた駅前のパン屋に、今日ふらっと立ち寄ってみたのだけど




思った以上に斬新なメニューが多くて、結局あれもこれもと手を伸ばしてしまったのだ。




「置いとくから、お父さんも好きに食べてね」




呼びかけるも、接客中だろうか。
父親の返事はなかった。




少ししたら私もお店に出よう。
魚屋の娘は「はちみつレモンパン」を一口かじる。




毎日のように店番をしていた時は、あんなにつまらないと思っていたのに




自由な時間が増えてからは、むしろ自発的に手伝う日もある。




魚は相変わらず苦手だけれど、引っ込み思案な割りに接客業自体は嫌いじゃないのかもしれない。




この街のお客さんは穏やかで気さくな人ばかりだ。




「ねぇ、お父さん。これ何?」




そのテーブルの上には、縁に赤と青の模様が入った小さな封筒が置かれていた。




表面には英語で名前と住所らしき単語が並んでいる。




海外からのエアメール。
差出人はすぐに思い当たった。




「…あの人からだ」




高校時代の同級生である、写真好きの彼。




カメラマンの師匠に付いて世界中を巡る旅に出たのは、もう半年近く前のことだ。




今は一体どの辺りにいるんだろう。




こうしてエアメールを送ってきたのだから、それなりに文化的な環境なんだろうけど。




「ちゃんと無事に帰ってきなよ」




封筒には、大まかな近況を知らせる手紙と共に、写真が入っていた。




1枚は、異国の少年少女たちと笑っている彼の写真。




そしてもう1枚。
いつ撮られたんだったか、退屈そうに店番をしている自分の写真だ。




写真の裏には丸い文字で、『君も笑えてる?』と書いてあった。




「うん、今は笑えてるよ。ありがとう」




過去の自分を封筒にしまうと、魚屋の娘はエプロンをして店先へと向かった。
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