死神と逃げる月

□全編
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《しまい忘れ》




嘘吐きな彼女はこのところ毎日、学校へ行く途中で足を止める場所がある。




何の変哲もない普通の住宅なのだが、そこを通るたびに彼女は空を見上げている。




「やあ、立派な鯉のぼりじゃないか」




その日はちょうど通り掛かった郵便配達夫も、5月の空を泳ぐそれに気付いて立ち止まった。




「ずっと出しっぱなしみたいですよ」




「しまい忘れかな」




「そうですね」




郵便配達夫は子供のように目を輝かせていたが、嘘吐きな彼女は少し寂しそうに見えた。




「今日、雨みたいですね」




「それじゃあ鯉のぼりも濡れちゃうな」




でも魚だから、濡れても大丈夫か。
郵便配達夫は笑った。




「私、小さい時に鯉のぼりが欲しかったんです」




「いいよね、鯉のぼり」




「でも、うちは男の子がいないのでダメでした」




昔を思い出したのか、彼女も照れ臭そうに笑った。




「そう言えば、僕も一人っ子だからお雛様を飾ったことないなあ」




「だから大人になって結婚したら、男の子を産んで鯉のぼりを飾るって、彼氏と約束したんです」




「ああ、それは名案だね」




屋根より高い鯉のぼりを見上げながら二人は、しばらく黙ったまま、時間の流れにただ身を任せていた。




「…だけど、それも叶わないかもしれないです」




小さく呟いた彼女の意味深な言葉が聞こえてはいたが、郵便配達夫は自分が配達の途中だったことを思い出した。




「配達に戻らなくちゃ。君も学校、行かなくて大丈夫?」




「あ、やばい」




「それじゃあ」と、嘘吐きな彼女は傘を片手に駆けて行く。




その夏服を眺めながら、ああもう夏だな、と郵便配達夫は思った。
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