死神と逃げる月

□全編
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《明くる朝》




薄明るい空に、飛行船が浮かんでいる。




あれには誰が乗っているのだろう。




ハナは目を開けてから、まずそんなことを考えた。




きっと知らない街に住む知らない誰かが、この街を見下ろして




「知らない街だ」と思っているのね。




それとも以前この街に住んでいたことがあって




懐かしく感じたり変化に驚いているのかしら。




そうかもしれない。
だってこの街は何度でも帰ってきたくなる、素敵な街だもの。




だからいつかは可愛いあの子も。




「BOW!」




そこでハナはようやく我に返り、思わず一声吠えた。




どうしたことかしら。




いつの間にか空が明るくなって、あの飛行船はゆっくり移動している。




時間が動き出したんだ。




いいえ、それだけじゃないわ。




夜の病院にいたはずなのに。
あの死神と対峙していたはずなのに。




まるで全ては無かったことのように、ハナは犬小屋に繋がれている。




「やあ、おはよう。もうすっかり夏だね」




郵便配達夫がハナに声をかけながら、家の前をバイクで通って行った。




そうだ、確か眠りに就く直前。




あの死神の囁く声がしたのだ。




『ああ、もうすっかり夏だ』




暑苦しそうな黒い服に身を包み、前髪の隙間から黒い瞳を覗かせた男。




その瞳からは感情のようなものは読み取れなかった。




だけど最後に言った言葉はとても優しく




そして悲しげに響いた気がする。




『負けたよ、ああ敵わない。お前のいる前では誰も連れて行けないさ』




夢ではない。
ハナは確かに聞いたのだ。
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