死神と逃げる月
□全編
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《英雄と死神》
「たーん!」
病院の廊下に、男の子の威勢の良い声が反響した。
漫画家の彼女がいる病室へは、鼻の利く相棒が案内してくれる。
ここは時間の止まった世界。
大人に見つかってつまみ出されることもない。
「ここだな!たたーん!」
病室の扉は小学生の手には少し重たかった。
うまく体重をかけて、横にスライドさせると
正面にある窓のちょうど真ん中辺りに
丸い月が浮かんでいるのが見えた。
病室の電気は点いていなかったが、それだけでも黒服の男の輪郭はしっかりと確認できる。
「やあ、よく来た。だが帰りたまえ。こんな悲しい場面を子供が見るものではない」
男は落ち着いた口調で言った。
まさに厳かな儀式の最中といった様子だ。
「待って、お願い。その人を」
「言うな。その先を言ってはいけないよ」
諭すように言いながら、男は強い眼差しで威嚇した。
英雄気取りの小学生は、一時退却が得意技。
何故なら、ヒーローは簡単に負ける訳にはいかないからだ。
危険に陥ったら一旦秘密基地まで戻って、態勢を立て直す。
それが今までのヒーローの掟。
だけど今日は、今日だけは
どんなに怖くても、退却する訳には。
「どうか、その人を助けてください」
男の子は頭を下げる。
相手が誰だろうと、お願いをするときは礼儀正しく。
それもまた、ヒーローの掟。
「何という」黒服の男は言葉を失い、帽子のつばで目を隠した。