死神と逃げる月

□全編
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《こんな不思議な夜だから》




「本当は、ダメなんだけどさ」




赤信号で停車すると、タクシーの運転手は




バックミラーを覗きながら苦笑いを浮かべた。




後部座席には一人の男の子と、大きな犬が寝そべっている。




「まあ、きちんと躾けられているようだし。こんな不思議な夜だからね」




しばらく待ってみたが、信号は変わらない。




やはり今夜は、この街に何かが起きている。




それに気付いたのは、いつものように客を降ろして駅前まで戻る途中。




はっきりとは覚えていないが、ある瞬間から人通りが全くなくなったのだ。




まるで本物そっくりの別世界へと迷い込んだような。




いや、むしろ街の人たちが何処かへ飛ばされてしまって




自分だけが、うっかりその流れに乗り損ねたのかもしれない。




ともかく手を挙げる人がいなければ、タクシーは仕事にならない。




誰もいない駅前を抜けて、しんと静まり返った国道に入ったところで




ようやく小さな客を見つけたのだ。




「あの、お金」




「ああ、いいよ。ルールなんて、有って無いようなものだ。こんな不思議な夜だからね」




一向に変わらない信号に見切りをつけて、路地に入ることにした。




回り道になるけれど、大丈夫。
時間はたっぷりあるのだ。




そう言えば月も、駅ビルに寄り添うように浮かんだままで




時間が経っても、それ以上の高さへは昇らない。




「ところで、また家出かな。それとも迷子」




ラジオをつけても、音楽は流れてこなかった。




そのせいだろうか、運転手はいつもより口数が多くなっている。




英雄気取りの小学生は真剣な表情で「いえ、決戦です」と答えた。
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