死神と逃げる月
□全編
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《設定・2》
猫のサチコは、三度目の春を迎えようとしていた。
あくまでこの街に来てから三度目の、だ。
『……』
彼女はさっきから、何かを思い出せそうな気がしていた。
遠い遠い昔の何か。
それは恐らく彼女にとっての、本当の始まり。
この街に来る前の、いやさらにその前の記憶だろうか。
『月が落ちてきたあの時、そこに誰かがいたはずなのよ』
ショーウィンドウの中、日差しに目を細めながらサチコは呟く。
この街へ雪となって降り積もり猫に姿を変えて逃げた、というのは非現実的極まりないが
月が撃ち落とされて宇宙船へと避難したのは本当の話だ。
もっと言えば、その後の宇宙船の故障や
彼女が宇宙船から投げ出されたところまでは、真実なのだ。
つまり彼女がたびたび気にしている「設定」というのは
所謂「事実に基づいたフィクション」なるものだった。
それについてはいずれ、全てが明るみに出た段階で言及されることだろう。
『誰かが、その惨事を食い止めようと、街の人々を助けようとしていたんだわ』
サチコは今、そんな朧げな光景を辿っていた。
あの時現れたのは誰だっただろう。
今となってはもう終わったこと。
思い出したところで何が変わるでもない話。
だけど、もう少しで思い出せそうな気がする。
駅前の通りを歩いていく女性の、差している淡い桃色の日傘。
あの日傘を眺めていると、何かを思い出せそうな気がするのだ。