死神と逃げる月
□全編
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《悪夢》
「これは一体どういうことですか!」
駅前公園のベンチの前、しかし落ち着かないのか腰は下ろさないまま
漫画家の彼女は携帯電話に向かって怒鳴りつける。
「担当が既に退職していて分からないって言われても…どう見たってあれは」
その後の連絡が一向に来ないから、おかしいとは思っていた。
最近になって何度か電話もしたが、繋がらなかった。
「盗作じゃないか!」
ようやく描き上げた小さなヒーロー。
コンビニで何気なく立ち読みした、その雑誌に載っていた新連載が
彼女のそれと、構図から台詞までそっくりだったのだ。
『しかしですね、先生が先に描かれていたという証拠もありませんし、まあ…』
電話の向こうにいる人物は、一応「先生」という敬称を用いながらも
面倒臭そうに冷めた言葉を返してくる。
「それはどういう意味ですか。盗んだのは私の方だと言いたいんですか!」
『いえその、偶然似てしまったということも有り得ますし、担当に渡されたという数話分のネームも見つからない以上は何とも…』
「私が無名のスランプ作家だからか。だからこんな扱いを受けるのか」
食い下がったが、切られてしまったのだろう。
彼女は携帯電話を地面に叩きつけた。
「悔しい。悔しい」
どんなに力任せに言葉を放っても
彼女の口からはただ、白い湯気が立つばかりだ。
その様子を、公園の向かい側にあるベンチから
ホームレスの男がじっと見ている。
野球選手時代の、戦力外通告を受けた自分を重ね合わせたのだろうか。
彼女を遠く見つめながら、男は静かに唇を噛んだ。
「…悔しい」
漫画家の彼女はやがて携帯電話を拾い上げ
駅とは反対の方へ、ゆっくり歩いていった。