死神と逃げる月
□全編
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《証言》
寒さが少し和らいで、青い空が広がった十二月のある日。
クリスマスや年末のセールに沸く商店街の、疎らな人波の中に黒服はいた。
その身形は何処を歩いても目立って見えたが、不思議と誰も彼を気に留めはしなかった。
「や、やや」
その黒服が、魚屋の前で突然立ち止まる。
商店街の所々に取り付けられた小型のスピーカーからは、クリスマスソングが流れていたのだが
それとはまた別の、微かな歌声が聴こえたような気がしたのだ。
「ああ、人生って…」
魚屋には店番の娘が一人いて
黒服もよく知るあの歌を、小さく口ずさんでいた。
「その歌、何処で」
黒服は魚屋に立ち入るなり、驚く娘にそう尋ねた。
「えーと…夏祭りの時に聴いて、いい歌だなって…」
「誰だ」
「え?」
黒服は少し焦り始めていた。
どんな証言でも、どんな小さな手掛かりでも欲しかったのだ。
言葉が足りなかったことを詫びながら、黒服は改めて言い直す。
「夏祭りでその歌を歌っていたのは誰だ。教えてくれないだろうか」
ああそれなら、と親切な娘は店先に出て
商店街の通りの、駅前へと続く方角を指差した。
「この先にある、八百屋のご主人が」
「八百屋の。あの男か」
黒服は丁寧に礼を告げ、今来た方へと商店街をまた歩いていく。
だが、果たして八百屋の主人と話はできるだろうか。
確か彼の目に、黒服の姿は見えなかったと思う。
彼の耳には黒服の声がきちんと届くだろうか。