死神と逃げる月
□全編
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《黒い箱》
忘却の時間を経て、部屋は静まり返っている。
始まりを探す彼女は、壁に据え付けられた黒い箱の前に立った。
彼女の心境を例えるならば
忘却の時間によって心の部屋のひとつが閉ざされてしまって
一目ではそれが扉だと分からないくらい、何もない平坦な壁と化してしまった。
ただその扉の隙間からは、挟まった紙切れのような物が見え
彼女の興味を引こうと、吹きもしない風に揺れている。
これを一思いに引っ張れば扉は勢いよく開いて
その向こうに積み上げられた記憶が、雪崩のように襲いかかってくるのだ。
もしかしたら忘却の時間に奪われた記憶だけでなく
そこからさらに遡った、本当の「始まり」さえも思い出してしまうかもしれない。
ずっと始まりを探してきた彼女は、それを見てみたい気持ちと
せっかく仕舞った物を引っ張り出してはいけないんじゃないか、という気持ちの
両方を抱えたまま、黒い箱の前にいた。
音がしたのは確かにこの中だ。
このまま開かなければ彼女のストーリーも終わる、それでもいいかもしれない。
だがそれは収束とは呼べない。
言わばこの箱が、閉ざされた心の扉であり
中には彼女の記憶を呼び覚ます何かが入っている。
そんな予感が止まないのだ。
「私に何を求めている。箱よ」
箱は答えない。
ただ、扉に挟まった紙切れが吹きもしない風に揺れるように
彼女の興味を強く引き付けている。
一応迷ってはいるものの、こうして箱の前から離れられない以上答えは出ている。
やがて彼女は黒い箱を開けるのだ。