死神と逃げる月
□全編
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《牛丼・2》
「やっぱり駄目だったな」
八百屋の主人は席につくなり残念そうに、手をバツの字にしながら言った。
先に来ていた男はひとまず「メリークリスマス」と挨拶をしてから
「悪いな。お先にいただいてるよ」と丼を掲げた。
会合の場に牛丼チェーン店を選んだのはその男、タクシーの運転手だ。
昔から割りと大らかと言うか、物事に頓着しない男だった。
行き止まりならのんびり回り道をすればいい、そういう考え方が
真っ直ぐしか進めない八百屋の主人とは度々ぶつかった。
「クリスマスは来週だ」
注文を済ませたところでようやく一言、先ほどの挨拶に物申してから
八百屋の主人は本題へと移る。
「後の二人は続けられないんだと。夏祭りの時も結構無理を言ったんだ。これ以上は言えねぇさ」
「そうかい。まあ仕方ない」
どうやらオヤジバンドの存続について話し合っているらしい。
結局一番喧嘩が絶えなかった二人だけが残ってしまった訳だ。
「で、どうする」
八百屋が尋ねると運転手は、食後の爪楊枝を噛みながら
「どっちの話だ」と訊き返した。
「どっちってのは?」
「今後このバンドを続けるかどうか、っていう意味で訊いたのか。それとも」
またそんな思わせ振りな言い回しをするものだから
八百屋の主人は最後まで言い終わる前に、ニヤリと笑って言った。
「そりゃもちろん」
牛丼と生卵がテーブルに置かれる。
「次のステージは、何処にするかっていう意味だ」
それだけ言うと、八百屋の主人は丼を手に取った。