死神と逃げる月
□全編
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《やたら》
『また来たの』
もう靴音だけで分かるらしい。
黒服の男がそのショーウィンドウの前に差し掛かると
相変わらず態度の冷たい猫が、背中を向けたまま話しかけてきた。
『やたら来るわね。そんなに通い詰めるなら、何か買っていきなさいよ。店主が喜ぶわ』
「これは死神のフォーマルさ。他の服は着ない。大体俺にサロペットやアロハが似合うとでも」
そのブティック、繁盛しているのかいないのか。
店主はいつも暇そうにしているが、羽振りが悪そうな様子もない。
「ここからなら、公園の様子も見える」
黒服の男は道路側を振り返って、確かめるように言った。
『ええ。真っ正面だからね』
「音も聴こえる」
『大きい音ならね』
「今年の夏祭りの日に、誰かが公園で歌っていたそうだが」
『あれね。やたら五月蝿かったわ。派手なステージまで組まれて景観も損なっていたし』
「歌っていたのは誰だか知らないか」
そんなことを訊きにわざわざ?
ご苦労様だこと。
『知る訳ないでしょ』
侵入者の捜索を後回しにして、鼻歌の主を探すと言っていたはずなのに
鼻歌どころかあんな騒がしい歌の主を突き止めて、どうするつもりなのか。
サチコは黒服の要領の悪さに、ほとほと愛想が尽きた。
『大体ね、夏祭りなら街の人も大勢参加してたんだから。その辺で聞き込みでもした方が早いんじゃないの。どうして私にやたら構うのさ』
サチコがぶっきらぼうにそう言うと、少しの沈黙を挟んで
「君はいつも独りでいるから話しやすいのさ。出来上がった輪の中に入るのは難しい」と黒服は答える。
飄々としているように見えて、案外デリケートな男。
『そうでもないわ。気付いたらもうこの街の一員になっている。私も、あなたもね』
「そうだろうか」
サチコはそれ以上、何も言わなくなった。