死神と逃げる月

□全編
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《口笛》




公園で暮らす俺たちには厳しい季節がやってきた。




冬さえなければ、今の暮らしにも文句はないんだが。




と言いつつも、寒い中で食べる熱々の炊き出しは毎年の楽しみだ。




町内会の餅つきやら行事ごとも増えるから、案外賑わって嬉しい光景だったりもする。




しかし今朝は、ベンチに真っ黒な男が一人いる以外は




公園には誰の姿も見当たらなかった。




「どうだ黒助。蝙蝠傘の彼女の手掛かりは見つかったかい」




俺はそいつに声をかける。




誰だっていい。
話し相手がいれば人生は退屈しない。




いいや、残念ながら。
黒助は肩を落とした。




「そうか、すまねえな。昔のことだから俺も細かいところまでは覚えてないんだ」




ああでも、悔やみきれない一球とかは覚えてる。




不思議なもんだな。
俺は笑ったが、黒助は目を伏せる。




「まあそう落ち込むな」




俺は彼を励ましたかったのだろうか。
それは自分でもよく分からないが、




俺の唇は自然と口笛を吹いていた。




力強いリズムと優しいメロディの、今日の空のように澄んだ口笛。




そう言えば高校球児だった頃にも、落ち込んだり悔しい気持ちを紛らわすためによく吹いたものだ。




「その曲は」




黒助は驚いていた。




だが、それは別に俺の口笛が特別綺麗な響きだったからではなさそうだ。




「その曲を知っているのか」




「ああ、こないだ夏祭りで誰かが歌っているのを聴いたよ」




確か昔、少し流行った曲だと思う。
もう歌詞も覚えていないが。




俺たちの世代なら知ってる奴は少なくないはずだ。




そうだ、夏祭りで久しぶりに聴いたから懐かしくなって




さっき思わず唇が動いたんだ。




「もしや、歌っていたのはタクシーの運転手か」




「ん、違うな。駅前を通るタクシーはよく見ているが、ありゃあ知らない顔だった」




すると黒助は拍子抜けしたような顔で




「また振り出しか」と溢していた。
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