死神と逃げる月

□全編
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《竜の騎士》




「ごめんください」




郵便配達夫の彼は、魚屋の店先で呼びかける。




配達ではない。仕事は休みだ。




「はい、いらっしゃいま…」




店の奥から現れた彼女は、彼の顔を見た途端に目を伏せる。




自転車がベルを鳴らしながら魚屋の前を通って行った。




「手紙、読みました」




配達夫の彼はひとまずそれを伝える。




「あの、手紙というかお話なので。その、もちろんご迷惑でした」




魚屋の娘はよく分からない返事をした。




「いや、素敵なお話で」




月の無い世界で、囚われの姫は




竜の騎士から月の欠片を受け取っていく、そんなお話。




「でも、分からないんです。君はどうしてあれを自分宛てに郵送してたんだろう」




「…私、手紙をもらうような友達もいないし。だから自分で自分に手紙を出すしかなかったんです」




その意味もよく分からず、配達夫が次の言葉を待っていると




「竜の騎士に、会うためには」




小さな声で、彼女は言った。




『あなたともっと、お話がしたいです』




囚われの姫のそんな言葉で、お話は終わっていた。




「僕も」




「はい」




「僕も一度、ゆっくり話してみたいです。囚われの姫と」




彼は鞄から携帯電話を取り出した。




「今度一緒に、どこか出かけませんか」




魚屋の娘は、自分より少し背の高い彼を見上げる。




肩の向こうには、まだ薄明るい夕刻の空に満月が浮かんでいるのが見えた。




「…はい」




竜の騎士によって届けられた月の欠片が、満ちたのだ。




魚屋の娘は心の中に、そう書き留めた。
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