死神と逃げる月
□全編
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《missing》
『あの子も、もう子供じゃないんだよ』
『すっかり忙しい大人さ』
『分かってやってくれ』
ゴールデンレトリバーのハナは、黒服の男に言われた言葉を何度も反芻した。
その度に鼻がムズムズするし、喉が詰まる。
本当に、不愉快だわ。
夏の終わりに一度だけ、帰ってきた嘘吐きなあの子は
またすぐに旅立ってしまった。
もっとゆっくりして行けばいいじゃない。
アタシが必死でせがんでも、あの子は笑って手を振るばかり。
昔からそう。
アタシの気持ちなんてお構いなしに。
だけど今回、散歩に行くという約束だけは守ってくれた。
大人ね。確かに成長したのかも。
寂しいのには変わりないけれど、前と違うのは
きっとまた、時々帰ってくるのだと分かったこと。
だから今は、それまでの時間をどう過ごすか考えよう。
音を立てながら家の前を、郵便配達のバイクが走っていく。
そう言えば、いつもなら今頃の季節には
郵便局の脇にあるイチョウ並木坂を、あの子と歩いたものだわ。
次に会った時には、そういう思い出を一緒に語り合いたい。
せめて、あの子に手紙でも出せたなら。
あの黒服の男でさえ、手紙らしきものを持っていたのに。
あの子が帰ってくるのを待つしかないなんて。
やっぱり寂しい。
ハナは郵便配達のバイクをいつまでも見送っていた。