死神と逃げる月

□全編
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《伝言》




「味噌ひとつ」




その若い男は、暖簾を潜るなり言った。




黒服は音を立てて麺をすすりながら、男の顔を見る。




「あいよ、味噌一丁ね」と店主。




「いや、玉子もつけようかな」




小さな屋台の端の席に、男は座った。




この屋台、冬にはおでんを出しているが




今の時期はラーメン屋に変わるらしい。




「あれ、あんたは確か」




若い男は黒服を指差して言った。
「葬儀屋じゃないか」




そうだ、黒服も気付いていた。




件のおでん屋で、以前酔っ払っていた男。
確か元はセールスマンをしていたんじゃなかったか。




「どうも」




黒服が会釈をすると、彼は隣の席に移ってきた。




「あの日はみっともない姿を。酔ってたもんで」




「いや何、元気そうで」




味付け玉子の乗った味噌ラーメンが、男の前に運ばれる。




「うちの地元じゃ、ラーメンと言えば味噌なんです」




何だか、以前より角が取れた印象だ。




黒服はずっと伝言を預かっていた。
今ならば、伝えても良いだろう。




「その、何だ。少し調べてみたよ。例の婆さんのこと」




若い男は手を止める。




「死ぬ間際に言ったそうだ。『セールスマンの青年に謝りたい』と」




「え?」




男は「ど、どうして」とたじろいだ。




「冷たくしてしまったからだと。よく分からないがね」




「…そんなバカな。謝るのは俺の方なのに」




それからしばらく沈黙が続いた後、男は小さな声で




本当に微かな声で、「出会いって…」と口ずさんだ。




「その歌…知っているのか!」




突然大声を上げた黒服に、若い男は椅子から落ちそうになる。




間違いない。
黒服が頼まれて探していた、あの歌だ。




「い、いつだったか。タクシー乗ったら運転手が歌ってたんだよ。それを何となく思い出して」




「そうか。タクシーの運転手だな。ありがとう」




黒服は代金を置いて屋台を出る。




鼻歌の主。
ようやく手掛かりが見つかった。
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