死神と逃げる月

□全編
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《母より・2》




郵便配達のバイクの音が、家の前で停まった。




漫画家の彼女はベッドの中、動かない。




どうせ「母より」だ。
早く帰って来いとでも書いてあるのだろう。




こうして布団にくるまるのが気持ち良い季節になった。




夜、気温が下がって少し寒く感じるくらいが




一番寝心地が良い。




だけどそれだけじゃない。




この気持ち良さは、それだけじゃない。




できたんだ。




ついに描き上げたんだ。




心の底から、描きたいと思った話を。




「これだな。これだったよ」




漫画家の彼女は数年ぶりの達成感を噛み締めていた。




長かったスランプのおかげで、本当に時間がかかってしまったけれど。




新しい月刊誌に読み切り枠があるからと、昔の担当から連絡を受けたのが2月。




それから落ちた画力やら何やらを取り戻すのに必死で




ネームに取り掛かったのが5月。




それもなかなかうまく進まなくて、気付けば秋が来ている。




いつでも良いから描けた時に持って来てと言われていたにしても、待たせすぎだ。




これじゃあ連載作家としての再起は難しいだろうけど




願わくば掲載を勝ち取って、誰かに読んでもらいたい。




あの意地っ張りなガキにもだ。




「母より」を運んで来たバイクが、また音を立てて遠ざかる。




まだ田舎には帰らない。
帰ってたまるか。




ただ今は少し眠ろう。




久しぶりに漫画に没頭して、沢山苦しんで




うまく眠れない夜が続いたから。




今は少し眠ろう。
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