死神と逃げる月

□全編
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《祭りのあと》




「ああ疲れた。ちょっと待っててくれ」




八百屋の主人は機材を片付けているメンバーを残し




一人、公園内の小さな噴水のところまで向かった。




夏祭りでの復活ステージは見事に、野次とトラブルとミスの山だったが




ここしばらく味わった覚えのない達成感に包まれていた。




「へへっ、どうだ。まだまだイケるだろう」




噴水で濡らしたタオルを、額や首筋に当てる。




他のメンバーの分も濡らして持っていってやろう。




涼しくなってきたとは言え、全員汗だくだったからな。




「おじさん」




小走りで駆けてくる女の子がいた。




浴衣を着ていて雰囲気が違ったから、すぐには分からなかったが




同じ商店街の魚屋の娘さんだ。
入院中は見舞いにも来てくれた。




「おう、来てたのかい」




「はい。今日はうちの店もお休みなので」




浴衣に慣れないのか、歩き方が少しぎこちない。




「どうだった。オヤジバンドも悪くないだろう」




八百屋の主人は自慢の野菜を薦める時のように胸を張った。




「格好良かったです」




お世辞だろうな。
そんな大層なもんじゃない。




が、褒められれば嬉しいものだ。




「私、あの曲が好きです。人生は素晴らしい、生きるって美しい、っていう」




「ああ」




ドラムの奴が提案した、あの曲だな。




確かに、あれをやったのは正解だった。




あの曲が流行った当時はまだ若かったし、さほど心に響いた記憶もないんだが




不思議なことに今になって、胸を熱くさせるものがある。




「写真好きの彼にも見せたかったですね」




「いいんだよ。あんなバカ息子はよ」




口ではそんなことを言っているが、胸の奥がズキッとする。




「今頃はどこらへんにいるのかねぇ」




タオルで今度は腕を吹きながら、遠い空を見てそう言った。
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