死神と逃げる月
□全編
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《死神と嘘吐き・6》
黒服の男は頭を抱えた。
結局、蝙蝠傘の彼女のこともあまりよく分からないままだ。
そもそもその人物が、探している「侵入者」なのかどうかも分からない。
ここまで難航するとは、厄介なことを引き受けたな。
黒服は少し後悔していた。
「死神さん」
誰かが黒服のことを呼んだ。
若い女の声だ。
どうしてこの街の人間はいつも俺を気安く呼ぶのだろう。
やれやれと苦笑いを浮かべながら、呼ばれた死神は振り向く。
「や。君は」
「お久しぶりです」
「ああ、この街に帰ってきていたのかい」
黒服は突然の再会を喜んだ。
進学のために街を離れた、あの嘘吐きな女の子だ。
「夏休み中に少しだけ。またすぐ向こうに戻りますけどね」
「そうか。しかし会えて良かった。俺はずっと君のことが心に残っていたんだ」
黒服は言葉を尽くして伝える。
彼女のその後をどんなに心配していたか。
そしてまた謝りたいという気持ちを。
けれど彼女はただ笑って首を振った。
「どうしてだい。君はどうしてそんなに簡単に、俺のことを許せるのか。普通は死神なんて嫌われ者のはずなのに」
「お母さんが昔、言っていたんです。死神さんは死者の魂を無事にあの世まで送り届けるのが仕事の、心優しい神様だって」
「それは…確かに俺の仕事だが。君のお母さんも死神に会ったことがあるのだろうか」
「そうみたい。小さい時からその話を聞かされていたから、だから私もあなたに悪い印象は持っていないんです」
黒服には覚えがない。
そもそもこの街に来てからまだ1年半ほどだ。
恐らく彼女の母親が会ったというのは、この街にいた前任の死神のことだろう。
誰だか知らないが、街の人から愛されるような奇特な死神だったらしい。
「ねえ、知ってました?私、大学では世界中の紛争や貧困について勉強しているんですよ」
彼の夢を代わりに叶えたくて。
嘘吐きな彼女はそう言った。
「ねえ、知ってる?」は彼女が嘘を吐く時の枕詞だが、もちろん今のは嘘なんかではないのだろう。
それから「彼はちゃんと天国に着きましたか」と訊いてきた。
もしかしたら彼女は、それだけ確かめたくて黒服に会いに来たのかもしれない。
「ああ。間違いなく送り届けたよ」
そう答えると、彼女は安堵していた。
黒服の男もようやく少しだけ、胸のつかえが取れたような気がした。