死神と逃げる月

□全編
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《この際》




夜になって気温は下がったが、ジメジメした空気が生温い。




体を覆う真っ白な毛も、湿気を含んでいつもより重たく感じられた。




猫のサチコは公園の小さな噴水で喉を潤してから




背筋を伸ばして空を見上げる。




ああ今日も月が出ている。




現れては消える、ニセモノの月が。




そしてUFOはまだ来ない。




点滅する赤い光が見えたが、あれは飛行機だろう。




(もう1年半も待っているんだ。諦めてこの街で潔く生涯を閉じるか)




ブティックの看板猫として。
それもいい。




毎日毎日ショーウィンドウから同じ街並みを眺めているが




1日として同じ日はなく、人々は変化しながら暮らしている。




それはサチコにとって懐かしくも感じられる風景だった。




昼間であれば、虫取り網と虫かごを持った夏休みの子供たちが公園に集い




駅前に出来たパン屋の店先で、のぼりが風にはためいている。




ティッシュ配りの若者は眠たそうな声を上げ




古い駅舎の屋根には灰色の鳩が物欲しげに並ぶ。




夜になれば提灯をぶら下げたラーメンの屋台と酔っ払い。




映画館でレイトショーを見る人もいれば、ファミレスで夜を明かす人もいる。




駅前のロータリーには色とりどりのタクシーが列を作り




それを待ち構えていた乗客の列と合流しては、1台ずつ夜の街へ走り出していく。




(この際タクシーでもいいわ。誰か私を乗せて、あの空の外側へ連れ出してくれないかしら)




全く馬鹿馬鹿しい設定だ。




故障した宇宙船から投げ出され、雪となってこの街に積もったのちに




真っ白な猫に姿を変え、テレパシーやテレポーテーションを操るなんて。




(そんな非現実的な話ある訳ないじゃない!本当に馬鹿馬鹿しい)




もう一度、夜空を見上げた。




雲に隠れたのだろうか。




月は見えなくなっていた。
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