死神と逃げる月

□全編
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《取り壊し・2》




僕は見てしまった。




この街を流れている川の土手の上の道の先の工事現場の向こう。




いつの間にか設置されていた自動販売機の脇の一ヶ所フェンスが破れたところをくぐり抜けて、




怪獣みたいなショベルカーが山を少しずつ削りとってできた黄土色の坂を慎重に登って、




木々の間を風になってすり抜けながら、時には転んだりもしながら目指したあの山小屋。




今はもう使われていない錆びた水道管が剥き出しになっていたあの山小屋。




僕の秘密基地だったあの山小屋が、なくなってしまったその場所を。




取り壊されて、辺りの木々も切り倒されて掘り返されて




何もない、まっさらな茶色い台地となって僕の目の前に広がっている。




取り壊しの工事が始まってからは、悔しくて近寄らないようにしていたんだけど




今日ついにその光景を見てしまったのだ。




学校にも家にも居場所がなくて、どこよりも安心できる隠れ家だったのに。




「ここは僕の秘密基地だったんだぞう。返してくれよう」




声はただ、空しく響くだけ。




ひとまず整地作業は終わったようで、工事車両の姿は見えない。




これから何か、マンションでも建てられるんだろうか。




「お呼びになりましたか」




突然、誰かの声がして僕は振り返った。




しかし人の姿はない。
声だけだ。




「だ、誰だよう」




ランドセルに挿し込んであったリコーダーを抜き、身構える。




学校は夏休みに入ったのだが、これがヒーローの標準装備なのである。




「私は返す人です。今、お呼びになったでしょう。「返してくれ」と」




「返す人?僕に何かを返してくれるの?じゃあ僕の秘密基地を返してください」




期待を込めて、お願いする。
あくまで礼儀正しく。




「…残念ながら、それはできません。元々あなたの所有物ではないからです」




その声は申し訳なさそうに、だけどキッパリとそう告げる。




「…そしたら、そしたらさ」




すぐさま僕は、別の願い事を思いついた。




秘密基地なんかより、もっと大切なもの。




「お母さんを返してください」




姿の見えない声の主は、ますます申し訳なさそうに答える。




「それもできません。私と言えど死者を返すことは行き過ぎた行為です。ただ…」




「ただ…何なの?」




「あのお方。黒服で身を固めたあのお方ならば、あるいは…」




黒服。
あの死神のことか。




そうか。
あいつに頼めば、もしかしたら。
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