死神と逃げる月

□全編
202ページ/331ページ

《待ちぼうけ》




黒服の男は手紙を何度も読み返しながら




公園のベンチであの男を待っていた。




いつも黒助黒助と、適当なあだ名で呼ばれて鬱陶しいのだが




あの男に話を聞かねばならない。




「かの猫によれば」




独り言だが、まるで著名人の談話を引き合いに出すかのような言いぶりだ。




「この公園に住むホームレスの男が、『蝙蝠傘の彼女』なる人物の名前を出していたというんだな」




それが果たしてこの手紙に書いてある『侵入者』なのか。




それともこの街には、他に怪しい人物がいただろうか。




いや、もしかしたら人物とは限らないかもしれない。




「まさか、死神である俺のこと…なんてオチじゃないだろうな」




人探しなんて、むやみに引き受けるものではなかった。




『侵入者』だけでもこんなに苦労しているというのに、手紙ではさらにもう一人探すことを頼まれている。




とは言え、他ならぬ彼女からの頼みとあらば仕方ない。




始まりを探す彼女とは会ったこともないのだが、黒服は一方的に彼女を知っていた。




あれはちょうど別の街からこの街へ、黒服の担当が変わるタイミングだった。




彼ら神々にとっての役所のような場所で、ほんの一瞬すれ違ったのだ。




仕切りの向こう側で姿は見えなかったが、歌っていた鼻歌を覚えている。




『人生は、なんて素晴らしい―』




その時から、黒服は彼女に強く心惹かれたのだ。




「いや、今は思い出すのはよそう」




それにしてもホームレスの男はいつになったら現れるんだろう。




用事でもあって、何処かへ出掛けているのだろうか。




「暑いだろう。これでも飲むといい」




タクシーの運転手が、程よく冷えた缶コーヒーを持ってきた。




どうやら先ほどから公園の脇に車を停めて、黒服の様子を見ていたらしい。




「や、すまない。いただこう」




そう言えば彼は、以前にも牛丼を分けてくれた人だ。




「死神と仲良くなれば長生きさせてくれるかもしれないからな」




運転手は笑いながら、黄色い愛車のもとへ帰っていった。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ